アダム神父様からのメッセージ


主の平和、

保土ヶ谷教会のみなさんへ

今は厳しい状況に置かれています。毎日、戦っている教会の皆さんの上に、復活されたイエス・キリストの、愛、平和、忍耐などが豊かに与えられますように、お祈り申し上げます。

ご復活後の教会では、数週間の間、弟子たちに現れるキリストが「主の平和」という挨拶を必ず繰り返します。そのことは、どんな意味があるのでしょうか。平和というのは、ヘブライ語では「シャローム」と言います。それは、エルサレムの場で、三日間行われたイエスのドラマがありました。弟子たちが大きなショックを受けて、戸惑っていました。そのような弟子たちに与えられた、試練、喪失感、傷を癒すためにイエス・キリストが心からの配慮をし、よく考えられた癒し、元気づけ、新しいエネルギーを加える言葉なのです。

同時に、イエスが、おん父の元へお戻りになる前に、後継者になる自分の弟子たちと、自分の間の深い絆を結ぼうと働きます。それに関連する生々しいエピソードが紹介されています。その中で、残されているイエスとトマスとの間の有名な対話があります。人間を搾取するあらゆる悪と死に勝ったイエスが、トマスの望み通りに、トマスに自分の傷跡を手で触れることを許します。そして、トマスの心の傷跡を癒してくれます。なおかつ、トマスの心が成長されるよう励ましてくれます:「見ないで信じる者は幸いです」と言う有名な文句を残します。それは信仰を強めることを積極的に励ましてくれています。それは、私達にも、今、送られている言葉です。「主の平和」の祈りの言葉から、あなたの「石の心を肉の心に変えるよう」祈りをささげなさいと、イエス・キリストの声が聞こえてきます。

今年の四旬節は、パンデミックの始まった時期とちょうど重なって、一人ひとりの人生には、与えられた影響が一生忘れられないことになります。いつも走っている私たちがしばらくの間、足を止め、人生で一番大切なものは何かと考えさせられます。これからどこへ向かって歩むのか、などのことを示してくださいました。

しかし、教会での兄弟との集会がいつまで延期されるか誰もわかりません。けれども、神は、毎日、それに立ち向かう私達に、どんな知恵を得させようとされているのでしょうか。兄弟との間に、ソーシャルディスタンスを守りながら、お互いに情報交換を続けていたり、一人暮らしや恵まれていない兄弟と連絡しつづけることなどが大事なことです。それぞれの地域によって分かれているみなさんが、属する地域の班という傘の下で、その班の構造と役割を考え直すべきかどうか、ちょうど考えさせる時期ではありませんか。

今までの教会には、いろいろな活動の集会があったわけですが、離れてみると一つ一つの活動の目標、活躍などを見直す必要があるかもしれません。そのために考えさせる重要な基準があります。キリストの体である教会が一つになるため、集まることが大切ですが、その体の一部である私たち一人ひとりが自分の個人的な利益を超えて、よその部分のことや、全体のことを考える意識を持つことが必要なのだと考えます。それが、キリストの体全体の成長のために役に立つことになっていくと思います。

イエス・キリストの死と復活を記念する集いであるミサに、まだまだ参加できないことは残念です。今までの数週間の間、一人ひとりで、および家族で祈るため、どんな工夫をされてきましたか。反省する材料がちゃんとあると思います。困ったこともあったと思いますが、それは一体どんなことだったでしょうか。一人ひとりに与えられた方法や材料が違っていても、お互いに助け合う必要があるに違いありません。

「主の平和」

保土ヶ谷教会に赴任して3年目に入ります。長い間お世話になっています。これからどうなるのか誰にも分りませんが、司祭として皆さんとの普通の交流が無くなった今、しばらくの間は我慢できます。

しかし、皆さんの顔を見なくなっても、ひとりひとりの声を聴きたいというくらいの希望はあります。皆さん宛には、何回も「主は皆さんと共に」のメッセージを送り続けていますが、「また司祭と共に」という反応がなかなか返ってこないのは寂しい思いです。洗礼によって、「主イエス・キリストの恵、神の愛、聖霊の交わり」の家族になっているのに、どうすればこのような異常の時にも、その心を感じられるようにできるかと期待し続けています。

最後に祈りましょう。「希望の源である神よ、私たちが感染拡大を防ぐ為の犠牲を惜しまず、世界のすべての人と助け合って、この危機を乗り越えることができますようお導き下さい。」

アダム・ジェラール神父