聖母の被昇天(8月9日)の説教(テキスト)

皆さんおはようございます。毎年8月15日は、この教会の守護聖人でもある、聖母の被昇天の祝い日です。暦の都合上、15日ではなく、本日お祝いしたいと思います。

1981年にヨハネパウロ2世が来日されて以来、8月6日から15日までを平和旬間とし、祈りとともに平和について考えることが行われています。本日聖母マリアの被昇天をお祝いいたしますので、マリアの心、平和の道具であるマリアがどのように私たちの求める平和と関係しているか、お話したいと思います。

まずマリアについてですが、言うまでもなくマリアはイエス・キリストの母です。そしてその子イエスは人間社会の旧来の価値観を破壊し、新しい未来を打ち立て、そして十字架上で死んでいきました。その十字架の下で最後までイエスを見守り、イエスは直接自分の母に、新しく生まれた教会の母となるよう使命を与えました。 今日読まれた福音(ルカ1-46~55)は特別に「マリアの賛歌(マグニフィカト)」と呼ばれ、マリアを現わすものとして現代まで伝えられてきました。

この賛歌は次の三部構成となっています。

1. マリアは「幸いな女」であった。大事業を行うための「神の器」となった。

2. マリアが生む子は、人間の内面世界を逆転させる。

3. マリアの体内から始まった事業は、神が明言して始められた。

幸いな女、マリア 世俗的な見方に従えば、マリアは不幸で悲惨な境遇にあった女性、と思う人もいます。確かに、誰にも信じてもらえない出産のことを始め、その子が処刑されてしまうことなど、俗世であれば耐え難い出来事でしょう。しかし、マリアは子供の頃から覚えてきた聖書の言葉が常に浮かんで来るような信心深い方で、自分のうえに何が起きているのかよく理解できている「幸いな女であることを深く実感するマリア」であったのです。 今日読まれたように「今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者というでしょう」とマリアが言ったのは、この自分を用いて神がなさろうとしている業の大きさを見つめ、よく理解できているからそう言えたのです。 わたしたちも洗礼を受けて、自分と家族のためだけでなく、神のためにも働いているはずです。マリアの信仰と神の計画への理解を思い起こし、わたしたちも神の計画に参画できているか、自問してみましょう。

人間の内面世界が逆転される マリアは自分の中に宿った生命が、やがて人間の価値をひっくりかえし、人間世界の秩序が、天と地が入れ替わるほど、逆転していくことをわかっていました。マリアが生んだイエスは、多くの人々と触れ合い、一人ひとりに人間性を再び与えてくれるのです。そしてそれにより、卑しいものが引き上げられたり、飢えている人が満腹させられたりする一方、高みにいた人が下ろされたりするのです。つまり富や権力と無縁な者でもイエスの道をたどれば心の平安と永遠の命が保証される一方、この道に外れる者たちには報いがあることを意味しています。

マリアの体内から始まった神の事業 神が初めた事業は、旧約の時代(約束されたもの、人間の解放)から始まり、未来までそのまま続いていきます。そのような中、絶えず祈り続けるマリアの姿は、昔の人々(先祖)と我々、そして未来の人々をつなぐ架け橋のようです。人々の間の連帯を結び、前の人と、後からやってくる人の間をつなぐように祈ります。こうして私たちの教会は、マリアの祈りによって守られているのです。 世界の平和を築き上げるためには、惜しみなく自分を捧げたイエスと、教会を見守るマリアの心を思い起こす必要があります。

最後に、これらの心を端的に表すものとして、イギリスの学者、ベナード・ベンソンの言葉を紹介致します。 「自分を守ろうとするものは、武器がいる。けれども自分自身を盾にして人を守ろうとすれば、平和が可能になります。」