年間第20主日(8月16日)の説教(テキスト)

 

  「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12-24  

 

8月18日は当教会でラウレンチオ戸田帯刀(とだ・たてわき)神父が、75年前に凶弾に倒れ殉教された日です。

戸田神父の殉教は、ジャーナリストの佐々木宏人氏による長い取材の結果、『封印された殉教』(フリープレス)という本にまとめられ、近年明らかになりました。

今日は、戸田神父の歩みとそこから私達が学べることを考えていきたいと思います。

戸田神父の歩み

1898年(明治31年)3月23日、山梨県に生まれる

1923年(大正12年)ローマ、ウルバノ大学に留学

1927年(昭和2年)12月17日、司祭叙階 

 

1940年(昭和15年)10月、札幌使徒座代理に任命され、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)3月「英米を相手に戦争したらどうなるかわからない」と同僚神父に話したとして旧陸軍刑法違反で逮捕された。4回の公判の後、無罪となり釈放された。釈放された後の1944年(昭和19年)10月に横浜に移り、香港沖で亡くなった井手口神父の後任として横浜教区長となった。 

1945年(昭和20年)4月、戸田神父は教皇ピウス12世に対し、太平洋戦争の平和的解決について、メッセージを送っていた。(ただし、それはアメリカ戦略事務局に「フェイクニュース」として止められ、内容については明らかになっていない。)

終戦当時、山手教会は海軍に接収されていたが、教会を海軍に引き渡すときに、「残念ながら、その戦争は日本の負けです。8月15日には終戦となるでしょう。それは無原罪のマリア様の被昇天の祝日だから、その日に終結するのがふさわしいからです。」と語っていた。

終戦の日の翌日である8月16日に山手教会へ行き、海軍に山手教会を早く変換するよう要請している。その2日後の18日午後、保土ヶ谷教会で射殺体となって、発見された。当時教会内の建物を借りていた保健所の人は、その日に憲兵が一人訪れたと証言している。

遺体の解剖の後、内野作蔵浦和教区長によって8月22日が葬儀が営まれたが、戦後の混乱のために会葬者はわずか10数名であった。そして事件から約10年後、吉祥寺教会に「わたしは戸田教区長を射殺した者です。今は心から罪を悔いています。どうしたら良いでしょうか。」と訴えるものが現れた。これについて東京司教事務所からは「許せばいい」という返事のみがあり、警察に通報されることもなく、当時横浜にいた憲兵の一人と名乗った告白者も、その後姿を消しました。

戸田神父殉教の意味

平和旬間を終わろうとするにあたり、私達は平和の使徒であった戸田神父を偲びながら、平和を考えたいと思います。

保土ヶ谷教会の聖堂入口の階段の脇に、石碑が建てられています。

それには、戸田神父が横浜教区長になられた時に書かれた自らの決意(信仰宣言)が刻まれています。

「私は、世界平和のために、日本のため、自分の命をささげます。」と。

この強い信念の言葉は、言い換えれば、これからどんなことがあっても、横浜教区を立て直してみせます、と理解できます。この強い信念は終戦の年の5月、ドイツ降伏のニュースを聞いた時に発せられた言葉「私共はどんな事態になっても日ごろ覚悟して、死後の永遠なる生命を確信しつつ、戦いの現在に忍苦克服、生死を超えて、依って良き戦いを戦うべきであります」に示されています。

そしてこの信念は次のような行動となってきます。

平和のためによく祈る

山手教会が接収されるまで、戸田神父は昼頃になると必ず聖母像の前で熱心に祈り続けていたそうです。その祈りとは、「聖時間」と呼ばれていました。戸田神父は「十字架にかけられるキリストがゲッセマネの園で逮捕される前、脂汗を流しながら必死に神に祈っている時、弟子たちは眠っていました。私達は目を覚ましていなければなりません」と聞く人に話していたそうです。私達も心からイエスに、人類と世界の救いを忍耐強く願うものでなければなりません。

貧しい者への共感と連帯

焼野原となった横浜教区4県を回り、教会や信徒、司祭、修道者の日常生活の貧しさを把握し、こう言っていました。「戦争に負ければ、日本の国民の苦難は大変なものになるであろうし、万一勝ったにしても、この息苦しい軍国主義の時代が続くことは、特にキリスト教全体にとって耐えがたいことになる。けれども皆、日本を愛し信じている庶民ばかり、私もその一人だ。」

不屈の精神

山手教会の接収に反対し、その返還をつぎのような言葉で強く主張していました。「神はすべての上に立つ「顔」として、キリストを教会にお与えになりました。教会は、キリストの「体」です。カトリック教会の司祭として信仰のシンボルである聖堂を軍に供出することから守ろう、抵抗するしかない。」 「聖堂に根が生えているんですよ。体を引っ張っても決して動きませんよ...。」

コロナ禍の中にいる今の私達にとって、このような、神によく祈り、弱者と連帯し、そして決してあきらめない戸田神父の生きざまから、学べるものは多いと言えるのではないでしょうか。

一粒の麦が地に落ちて死ななければ、キリストの死と復活がなければ、永遠の命が与えられませんでした。初代教会の時にも、今も、多くの殉教者が涙と血という「種」をまくことによって、教会が生まれ変わっていったのです。