諸聖人(11月1日)の説教(テキスト)

今日は諸聖人のお祝いの日ですが、この祝いの趣旨は教会の発展に伴って、時代と共に変わってきました。

4世紀までは、イエス・キリストの後に従って信仰を証し、その結果天に召された数多くの殉教者たちを記念する日でした。教会の誕生以来、迫害されながらも布教に命をかけてきた兄弟たちの生き方は、まかれた種のように一人一人の心に信者の模範として芽生えてくるのです。

その後9世紀に、教会が分断された時代を通り抜けて、神の国の発展のために苦労を重ね、神と人へと愛を生きた無数の人々がいることを知るために、諸聖人の祝いと名づけられました。

さらに11世紀に修道会の活動が盛んになると、諸聖人と一般的な死者を記念し、祈りをささげる日となりました。

この祈るということは、どのような意味でしょうか。

特に、この春から今日に至るまで依然として、コロナウィルスの人質となっている私たちは何をすれば良いのでしょうか。

わたくしは、まず心を一つにして、天の父に向って祈ることが大切であると思います。

教皇フランシスコは、よく次のように語っています。

「パンデミックの時こそ、祈ることは大切です」、

「天の父との対話になり、魂の呼吸になる」、

「祈りとは、神のいつくしみのまなざしの前に身を置くことです」、と。

長い間、教会に以前のように集うことができず、日常生活のリズムを失い、人と人との「つながり」が弱くなっています。今まで目の前に輝いていた光が消えたような気持ちになっている方もおられると思います。

このような時こそ、適当な場所で時間をとって、ありのままの姿で、我々の弱さ、もろさを神にさらして、神に祈りましょう。

母の手のひらに包まれている幼子のように祈り続ける、そして謙遜な心で、すべての五感を使って神の声を聴きましょう。

布教活動をしていたイエスが口癖のように言っていた言葉、「小さな群れよ、恐れるな」を思い出しましょう。どんなことがあっても、現状を冷静に見なさいというイエスの言葉は、私たちの励みとなります。パウロが困っているフィリピ人へあてた手紙では、「知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように祈ります。」と言っています。

今日読まれた福音(マタイ5-1)では、キリスト者の目標と神のご加護が明確に示されています。

今現在、苦しみ涙を流しつつ歩みを続ける私たちに、神は明確に天の国を約束してくださっています。

飢えた状態から歩みだし、工夫し助け合い、神の国へ向かいましょう。毎日の生活の中で重荷を負っている人は、世俗の価値観という余分な荷を下ろし、イエスの言う「心の貧しい人」となりましょう。

時代を超えて、天の国に戻られたイエスと、地上に残されている私たちとは固い絆で結ばれています。そして信仰宣言の中で「聖徒の交わり」と言われているとおり、この世の信徒そして先に天に召された者とも目に見えない連帯の鎖でつながれています。イエスと共に神の神殿に住む先に召された人々を思い起こし彼らのために祈ることで、現世に生きている私たちは、互いに力を合わせ、人を大切に思うことができるのです。