待降節第3主日(12月13日)の説教(テキスト)

「いつも喜んでいなさい」(テサロニケ5-16 

今日読まれた、聖パウロのテサロニケの教会への手紙の有名な一節です。これは弱気になっている人への励ましの言葉でしょうか。私たちにとって、何を喜べば良いというのでしょうか。 

人生では喜びも悲しみもあります。そして先々がどうなるかは誰もわかりません。曇天の夜空の向こうには星が輝いていることは知っていても、実際に闇夜にいる時にはそんなことは想像できないものです。 

最近わたくしが聞いた嬉しい話は、喜びは小さな日常生活の中にあります。子供が生まれたり、就職したりした、今まで疎遠だった家族が会えるようになった、等々です。これらの個人の小さな幸せを分かち合い、私たちは団結・連帯して大きな問題に立ち向かわなければなりません。 

しかし現在はコロナ禍により人が集まることが難しく、教会もようやく徐々にあつまれるようになりましたが、わたくしたちは小さな羊の群れのようです。高齢化も進み、今までの感覚が消えていく寂しさも感じられます。このような時に、「いつも喜んでいなさい」とはどのような意味でしょうか。 

こんな時にこそ、聖書をとてもゆっくり読んでみましょう。イエスが実際、どんな時に喜んでおられたかを見てみましょう。 

人間としてのイエスの一生を見て、それは喜びがあるものであったのでしょうか。村々をめぐり病者を癒し、さまざまな人と出会います。味方だけでなく敵も増え、そして最後は十字架上の死を迎えます。この十字架上のイエスの姿、自分を処刑する人を許してくださいと神に祈るイエスの姿を思い起こしてください。これは天の父への無限の信頼、そして人に対する無限の許しの姿です。彼の心の底にある、本当の「力」を、今もわたくしたちは見ることができるのです。屈辱され十字架上の死で終わったイエスの30数年の人生は、失敗の人生であったのでしょうか。決してそうではありません。イエスはすべてを成し遂げ、神の人間への愛を示すという使命を果たしたのです。 

「喜びなさい」という意味は、心の喜び、イエスが私たちに示してくださった、心の奥にあるもっとも大事なものに気がつきなさい、という意味です。 

私たちはイエスのように弱さを克服し、イエスのように、悲しみ・屈辱・困難を乗り越え、最後には神様の御許に帰ることができます。それは隣人を助けることにより力を得、仲間と連帯することで自分の弱さを克服することから始まるのです。 

 

最後に、教皇様が3年前述べられた、「希望をもって喜びなさい」というお話を紹介させていただきます。是非ご覧になってください。 

 

教皇フランシスコ、2017年3月15日一般謁見演説:14.希望をもって喜びなさい(ローマ12・9-13参照) | カトリック中央協議会 (catholic.jp)