主の公現(1月3日)の説教(テキスト)

人生の道を歩んでいく中で、目標を失うことはとても辛いことです。

昨年はそのような経験があったという気がします。朝早くおきること、一日の準備をすること、家から出て出発することなどが、難しくなってしまいました。 先のことが見えなくなってしまったので、不安を覚えるようになりました。

今日、マタイ福音書に紹介されている占星術の学者たちは、どのような人たちだったのでしょうか。

-彼らは間違いなく、出発する勇気がありました。

-彼らは開かれた心と、明確な真理を求める探求心がありました。

それでは、彼らは何を追求していたのでしょうか。彼らは、満足できなくなった日常生活からしばらく離れて、生きる意味を再び探し求めていたのです。命をかけるほど、新しい目標を求めていたのです。

「私たちは、東方の国でそのかたの星を見たので、拝みに来ました。」

長い間、星空の研究をしてきたおかげで、かれらはエルサレムまで来ることができました。そしてエルサレムに来ると星が止まり、星の導きが終わったことに驚きました。星空を追求する旅が終わり、科学的手段の限界を受け止めて、高いところから低い地上を捜索する作業に変わったのです。そして、ついに、飼い葉桶に寝かせてある赤ん坊を発見したのです。

占星術者たちの物語は、それぞれの思想、宗教を超えて、神を求めている人たちの物語です。地上の日常生活から離れたい、苦しみ悩みから解放してくれる天に向かいたい、と思うことはあると思います。しかし、インターネットを検索しても、マスメディアに現れる様々な言説に従っても、何も見つかりません。イエス・キリストの神は私たちの上に立つ存在ではなく、目の前に麦わらの上に寝かされている、マリアの赤ちゃんの中におられます。

神は、ヘロデ大王のような支配者、残酷な独裁者ではなく、私たちと同じ高さで目線を合わせてくれる、謙遜で弱い者の姿、存在になります。

占星術者たちはいったんは、エルサレムの大神殿に到着し、ヘロデ大王の王宮にも訪問しましたが、そこにはイエスはおらず、田舎の小さな村であるベトレヘムまで歩かなければなりませんでした。

2000年経った今でも、多くの人たちは真理を追求しようとして、いまだに残念ながら間違った方法をとっています。大神殿や王宮にいくことも、良いでしょう。しかし、本当の神はそのようなところにはおらず、貧しい馬小屋におられるのです。

馬小屋に到着した占星術者たちは、幼いイエスに東方から持ち込んだ供物をささげます。ゼニ・カネの欲望そのものである黄金、人を魅惑し支配する力の象徴である乳香、不老不死の肉体へのこだわりの象徴である没薬をイエスにささげ、それらへの執着から解放されたのです。

馬小屋でうまれた赤ん坊は死ぬために人間になったわけではありません。生きるために、また彼を信じる人が真に生きるために、人間になったのです。イエスと出会った占星術者たちは、「ヘロデを避けて、生きる幸せの鍵を手にとって、自分たちの国に帰っていった」のです。

新年には人生の新しい1ページが開きます。何も書いていない真っ白なページです。これからの一年間、占星術者のような心で、イエス様と私たちの兄弟姉妹を探しましょう。そしてイエス・キリストを心に宿し生きていけるように、新しい出発をいたしましょう。