主の洗礼(1月10日)の説教(テキスト)

数日前にコロナ禍について「緊急事態宣言」という残念なニュースが届きました。しかしその一方、今日教会の典礼によって、良い知らせもあります。

今日は、成人となる若い兄弟とともに、イエス・キリストの洗礼を記念するミサを捧げます。

さて、イエス・キリストの洗礼を祝うとき、私たちは神様からいただいた次の三つの良い知らせを確認します。

1.去年のクリスマスの夜の知らせ

―神の子イエスが、天からこの地まできてくださり、無防備な赤ん坊の姿で現れました。

―神はこの世に住んでいる私たちと、共に歩むように決心されたのです。

―神を遠く離れた存在だと思い込んでいた私たちは、神をすぐそばにいる方として体験できるようになりました。

2.先週いただいた知らせ

―主の公現がありました。

―キリストがユダヤ人だけではなく、この世の全ての人々の救いと解放のために来られたことが明らかにされたのです。

3.そして今日の知らせ

―天上からいらしたキリストが、私たちの足下まで降りてくださり、洗礼を受けるためにヨルダン川の中に沈んでいったのです。

これはどのような意味を持つのでしょうか。

洗礼者ヨハネは、原点に戻り神の前で悔い改めるために、人々に洗礼を授けていました。洗礼は英語ではバプタイズと言いますが、語源は沈む、浸すといったものです。イエスも洗礼者ヨハネの前で、ヨルダン川の中に沈み込みました。そして水の中にあってしばらく出ては来ませんでした。本当のところは、キリストは神ご自身であり洗礼を受ける必要はありませんでした。にも拘わらず、神ご自身が洗礼を受けたこと、すなわち人々と同じように呼吸が苦しくなるまで水の中につかっていたことは、私たちを助けるために、人と共に霊に生きるために、神がこの世に来た印(しるし)を意味します。

こんにち洗礼を受ける時には、額にわずかな水が注がれるだけですが、その時「父と子と聖霊によって洗礼を授けます」という言葉が述べられます。イエスがヨルダン川から出て岸へ上がった時も、天の父から「彼は私の愛する子、私の心にかなう者」との声がありました。洗礼を受ける私たちは「父と子と聖霊によって」神の心の深い交わりにより結ばれます。そしてこれは人間同士も仲良く交わるよう、神から招かれているのです。

初代教会の学者テルトゥリアヌスは「洗礼を受けたものはキリストの印が心に刻まれた者」と言っています。それは神に守られる一方、兄弟と共に生きるという責任を負うことでもあります。責任、英語でいうリスポンシビリティはリスポンス(答える)から来ています。私たちは神から与えられる問いに答えなければなりません。

現実の世界の中に生きる私たちは、大事な選択を行わなければなりません。それは富・権力・名誉のために他者を敵とする個人主義、利己主義が世の常識であるのに対し、キリストの生き方は小さくされた人々の側に立って彼らを優先し、人々と共に自分の十字架を背負って、解放の日(永遠の命)を目指すものであるからです。現代社会が今一番必要としていることは、バラバラに分裂した人々が、お互いが助け合い、連帯しあえるようになることです。一人ひとりを大切に思う心を育てるのは難しく、挑戦です。信仰は強制されるものではなく、神から与えられる贈り物です。

イエス・キリストに向かって祈ります。イエス様、あなたはヨルダン川から立ち上がった時、「天から神の霊が鳩のように下り」そして「『彼は私の愛する子』と父の声が聞こえる」ようになりました。成人を迎える私たちひとりひとり、そして今日のミサ参加者に豊かな祝福を送ってください。この世界の家の創造主である父と私たちと共に歩んでくれるキリストの平和、愛の交わり、正義の霊が私たちの心に豊かに注がれますように。