2010年2月28日 四旬節第2主日   (C年)

  今日の答唱詩編は詩編27章でした。これは神への信頼に満ち溢れているものです。ダビデ王は何もかもがうまくいかない時、この詩編で祈りました。あなたの祈りにも、どうぞお使いください。次のは特にお勧めです。「わたしの心はささやく、"神の顔を尋ね求めよ"と。神よ、探しているのはあなたの顔です。どうぞ御顔を隠さないでください。」 "顔"という語は単に顔だけでなく人間そのものを意味しています。 
  神の顔とはどんなものでしょう?つまり、神とはどんなものでしょう?神とは誰なのでしょうか?イエス・キリストを通して、私たちは真の神を見ることが出来ます。今日の福音には、イエスが山に登り、イエスの顏が光と栄光に包まれる情景が描かれています。イエスの服も白く輝いていました。これはイエスが真の神であることを具体的に示す福音の記述です。もうひとつ別の山、ゴルゴダの丘を見てみましょう。イエスはここで十字架に釘で打たれました。彼の顔は血だらけとなり、苦痛の表情となりました。服も脱がされてしまいました。私たちのイエスは真に人間でもありました。100%神であるとともに、100%私たちのような人間であったのです。
  真の神の心を知るために、人間イエスの顔を見てみましょう。カナの婚宴の際、イエスは笑い、客たちとともに楽しみ喜んでいました。そして一人息子を亡くしすすり泣く未亡人に出会った時は、友人ラザロの墓で涙を流した時と同様、彼女とともに嘆き悲しみました。舟の中ではイエスは疲れた顔をして眠っていたこともあります。また、生まれ故郷のナザレを追い出された時には、傷つき落胆した表情を見せていました。寺院で貧しい人たちに高い値段を吹っ掛けた商人たちに対し、怒りの表情を見せたこともありました。また、母親や子供たちには優しく、楽しげに招き入れ、祝福を与えています。ザアカイには理解を示し、(裏切った)ペトロには許しの表情を見せています。イエスは今日も私たちの間に生きているのです。これが今日、私たちに対する神の顔なのです。今週、私たちは短くも静かな時間を持ち、私たちの心のささやきを聞いてみましょう。命と平和の優しい神に会う心のやすらぎ、これを私たちは真に欲しているのです。
「力を捨てよ、知れ。わたしは神。」(詩編46-11)
「主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。御顔を隠さないでください。」(詩編27-8,9)