待降節第3主日(A年)2004年12月12日

キリストの教えの中で、現代のわたくしたちにとって逆説的に響く教えは多くあります。 今日のテーマは「貧しい心」についてです。

「心の貧しい人は幸いである。天の国は彼らのものである」(マテオ5−3)とは、有名なイエス山上の垂訓の最初の言葉ですが、「貧しい心」、これは一体何を意味しているのでしょうか。

聖書でいう「貧しさ」の意味をみてみましょう。創世記や出エジプト記が書かれた旧約時代においては、貧しいということはまさに経済的に恵まれていないということのみを意味していました。その後時代が移り社会が複雑になってくると、経済的に貧しいということは、本来正当に得られるような社会的権利、例えば公平な裁判を受ける権利、を喪失している状態も意味するようになります。つまり貧しい人ということは、資力も権力もまったくなく、もう自分を守るのに神に頼ることしかできない状況にある人、ということを意味しています。

この意味で、心の貧しい人は幸い、なのです。

さて不況が続くといっても、やはり豊かな日本において日々を暮らすわたしたちは、このような「貧しさ」を認めることができるでしょうか。なまじ資力・権力があると、かえって神に頼らなくともやっていけるとつい思うのではないでしょうか。そして結局、資力・権力では解決できないはるかに大きな問題に直面し、苦悩・挫折していく...。このようなことから、頼るものが最初から神しかない「心の貧しい人」がむしろ幸いとされるのです。

自分の人間的な貧しさを正面から認めましょう。認めれば認めるほどイエスからの恵みを受け入れられるようになります。自分が貧しいと認めることは、神への信頼の基礎となるものです。

資力・権力その他ありとあらゆる自分の持ち物を総動員して、一人ぼっちで一生懸命努力すること...このようなことはもうやめましょう。ストレスになるばかりか決して良い結果をもたらしません。自分の力だけで仕事をすることをやめ、神の力を借り、神と共に歩みましょう。

イザヤの預言(イザヤ35-4)
心おののく人々に言え。
「雄雄しくあれ、恐れるな。
見よ、あなたたちの神を。
敵を打ち、悪に報いる神が来られる。
神は来て、あなたたちを救われる。」