2010年3月28日 受難の主日(枝の主日)   (C年)

今週は「聖週間」と呼ばれ、私たちはイエスのご受難、十字架上の苦しみと死、そしてご復活を思い起こし、祈ります。このイエスの苦しみを考えてみましょう。

イエスが受けられた苦しみは、現代の私たちと関係ない遠い昔の歴史ではない、ということを実感することがまず大事です。この苦しみは今日の私たちに自在にあてはめることができます。聖パウロは「キリストは私を愛し、私の為に命を捧げました。(ガラティア人への手紙2:20)」と言っています。イエスの苦しみに感謝するために、この文をじっくり考えてみましょう。私たち一人ひとりも聖パウロと同じ言葉を使うことができます。するとイエスのご受難はたいへん意味のある、そして今日を生きる私たち一人ひとりの日常によく結びつけることができるのです。
イエスは残酷な肉体的拷問に苦しみました。背中は鞭打ち刑による切り傷で血だらけです。あなたの為に耐えた、イエスのあなたへの愛を感じてください。イエスの頭はいばらの冠で血だらけです。あなたへの愛を思ってください。私たちが体に痛みを覚える時、イエスは私たちとともにおられます。

イエスは心にも大きな痛手を負いました。イエスはゲッセマネの園で、(弟子たちは眠りこけていて)何の助けも得られず、恐怖におののいていました。友人であるユダに裏切られ、ペテロにはイエスを知らないとまで言われたのです。事実に反する告発、侮辱、パワハラそして一方的な裁判と続きます。これらすべては、イエスは私たちを愛しているからこそ、受け入れられたのです。兵士はイエスの顏にツバを吐きかけました。イエスの愛を思いましょう。

イエスの苦しみばかりに気をとられず、その裏にあるイエスのあなたへの愛に気がついてください。これはとても個人的なあなたへの愛です。

イエスは人間としてこのような苦しみを経験されたからこそ、神として私たちに「恐れるな、あなたが苦しんでいる時に、私はあなたとともにいる。」と言うことができるのです。

ルカ福音書のキリストのご受難の章(22:19から23:48)をとてもゆっくりと読んでみましょう。「キリストは私を愛し、私の為に命を捧げられた。」と常に思いながら読むのです。

読みながらしばし停まって、イエスの愛を味わいましょう。私達が苦しんでいる時、非常に特別な形ですぐそばにいらっしゃいます。イエスも苦しみを経験されたのです。イエスのお招きは特別な意味を持ちます。「疲れている者、重荷を背負っている者は皆、私のもとに来なさい。休ませてあげよう。(マタイ11:28)」 今週、祈りと聖書朗読でイエスのもとへ行きましょう。暗闇から光へ変わることができます。