主の公現 2005年1月2日

みなさん、あけましておめでとうございます。

今日は主の公現の日です。公現とは、神なる父が自分の御子イエスを正式にこの世に現した、ということです。

イエスが生まれたその夜、最初に馬小屋に集まってきたのは羊飼いでした。これら羊飼い達は地元の人々で、ユダヤ教を信じていたものと考えられます。次にやってきた人たちは、東の国からやってきた三人の博士達でした。これらの人たちは、ペルシア、イラク、北アフリカなどから来た天文・占星学を修めた学者達といわれており、黄金・乳香・没薬の贈物を捧げています。ユダヤ教徒ではありませんでしたが、特異な星の輝きにより救い主がお生まれになったことを知り、どうしても会いたいと、贈り物を持ってやってきたのでした。輝く星は旅する彼らを導き続けました。

さて皆さん、聖書を読む時には、「表面の意味」とその下の「深い意味」の二つの意味に注意したいと思います。「表面の意味」は、もちろん、二千年前の歴史的事実を記したものです。しかし、その下の「深い意味」とは、真理や本質に関わることがらを間接的・象徴的に示しているのです。

この「深い意味」で、羊飼い達がユダヤ教徒を代表するのであれば、この東方の三博士はユダヤ教徒でない他の諸国の人々、つまり私達自身の代表なのです。ユダヤ教徒ではありませんでしたが、自ら輝く星に気がつき、その星に導かれイエスに出会うことができ、そして贈り物を捧げる(もっとも私達は心の贈り物を捧げるのですが)、これは私達自身の姿をあらわしています。このように初めから、イエスの誕生は、ユダヤの人たちだけでなく、全世界のすべての人にとって良い知らせであったのです。

わたくし自身のことになりますが、私はつくづく日本に来てよかったと思います。母国ニュージーランドでは、多くがプロテスタントでカトリックはそう多くありませんが、基本的にはほとんどがクリスチャンであり、キリスト教はあたりまえのこととして受け入れられています。一方日本では、クリスチャンは人口の1%以下、特別のことです。信仰を持っていることそのものが、大変特別で恵まれたことなのです。

異国にあっても、輝く星に導かれ、イエスにめぐりあった三人の博士を想いおこしましょう。私達もイエスを求めて旅する旅人です。私達は人生という旅において”方向オンチ”かもしれません。しかしイエスという光り輝く星の導きによって、生きがいのある人生、味わいのある人生をおくることができるのです。

今週は自分の信仰の意味を考えてみましょう。信仰を大事にし、毎日の祈りを通じて神との接触の機会をもちましょう。
そして三人の博士のように、心のプレゼントを神様に捧げましょう。

黄金のかわりに....
人に対する価値ある思いやりを、
乳香のかわりに....
人に対して関わりあいのある笑顔を、
没薬のかわりに....
人に対する許しを。

主の公現を感謝し信仰の喜びをわかちあいましょう。

(注) 乳香:紅海沿岸産のカンラン科の植物から得られるゴム質を含んだ樹脂。黄色透明の堅い塊状物質で、炭火上に投入すれば芳香を放つ。没薬とともに古代オリエント、エジプトの代表的香料で、薫香として使用された。
没薬:ミルラともいう。アラビアやアフリカ産のカンラン科ミルラノキ属の植物から得られるゴム質樹脂。不規則な塊状物質で粉末は黄色。特異の臭気と苦味を持つ。中国医学では血行を促し腫れを消す作用があるとされ打撲傷、切り傷等に内用・外用する。古代エジプトではミイラ製造に利用。