2010年5月2日 復活節第5主日   (C年)

イエスは今日も私たちに「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と言います。けれども他人を愛するのは難しい(時によっては不可能な)こともあります。私たちを傷つけた人がいて心に深い痛手が残ったり、極端に異なった意見を持つ人々がいたり、自分とは正反対と思える性格だったり、会いたくない人、自己中心的な人、覇気のない人、うるさい人、私を見下したり、利用したりする人等々、様々です。 こんな人たちを一体どうやって愛せよとイエスは言うのでしょう。そう、不可能なのです。あなた自身の人間が持っている力では不可能であることを認めましょう。私たちに何ができるでしょう。

まずは"愛"という言葉です。イエスの掟である愛とは他人に対し、温かく良い感情を持つということではありません。それは、彼または彼女を欠点もすべて含めて謙虚に受け入れるということなのです。

イエスのように人を受け入れる(愛する)には次のような段階が重要です。
(1) 優しく、理解のある神のみ前で、自分自身の罪や欠点、弱さや短所を認めましょう。(詩編145参照 主は恵み深く思いやりに満ち、怒るに遅く、愛に満ちている。)
(2) 神がどれほどあなたを愛し、欠点も含めて、ありのままのあなたを受け入れているかを祈りを通して考えてみましょう。イエスは私たちにご自身をお与えになりました。神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる(第2朗読)。この二つめの点は重要です。なぜならイエスは"私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい"と言われているからです。私たちが実践すべきこの愛は"私が愛したように"なのです。
(3)"イエス、私の父よ! あなたはありのままの私を愛し、受け入れてくださいました。ありのままの○○○○さんを受け入れられるよう、私を助けてください。私にはあなたの助けが必要です。あなたの力添え無くして○○○○さんを愛するあなたの掟を守ることは不可能です。私はあの人を愛したいのです"と祈りましょう。