年間第4主日(A年)2005年1月30日

今日の第二朗読(一コリント1・26−31)は、現代に生きる私たちにとって分り易い教えを示しています。それは、「誇る者は主を誇れ」ということです。

コリントはアテネに次ぐギリシア第二の都市でした。パウロが説いたキリストの教えを受け入れ、そしてコリントにおける初期教会の中心となった人々には、ギリシア哲学や弁証法などににたけた学者・知識人も多くいました。パウロが次の伝道地に去った後、これら学者・知識人・高学歴の人々は一般の人々を見下し、派閥争いを始めました。せっかくできた教会は四分五裂となり、パウロは何度も手紙により指導を続けなければなりませんでした。

パウロは、「誇るなら主を誇れ」と説き、逆説的に自分の能力・家柄・権力を鼻にかけることを厳しく戒めています。自分では決して勝ち得なかった贈り物、信仰の恵みによってイエスに出会うことができた、という基本的な点において、我々人間は皆一緒であり、等しいものであるからです。誇るものなど主の恵みそのもの以外はない、ということをパウロは説いています。

旧約聖書ではさらに直接的に次のように説いています。

知恵者はその知恵を誇らず、
強者はその強さを自慢せず、
金持ちはその富に高ぶるな。
むしろ、誇る者は、
知恵のあること、私を知ることを誇れ、
私はあわれみをもって、
公正をもって、
正義をもって、
地で行う主なのだから。
(エレミア9・22−23)

 

この一節を思うと、私は45−6年前、日本語を学んでいた逗子教会の藤瀬さんという方を思い出します。とてもやさしく、謙遜な方でありましたが、実は大学の高名な先生でテレビにもよく出ている方だと後で知り驚いたものです。すでに故人となっておられますが、アタマの知恵よりも心の知恵をもった方でした。わたくしにとっては、彼こそが自らを誇らず、主を誇る人でした。

皆さん、主イエスを誇りましょう。イエスのおかげで私たちは面白い人生、生きがいのある人生を送ることができます。苦しみにぶつかっても、同伴者イエスとともに人生を着実に歩んでいくことができます。

昨年12月、私の叙階記念と誕生日のおり、私は自分のいままでの歩みを振り返ってみました。一番の大きな試練は35歳の時に脚を悪くし9ヶ月も入院した時のことでした。あまりの苦痛や絶望に、私の信仰も大きく揺らいでしまいました。しかし、支えてくれた人々のおかげで神から離れることもなく、また病も結局わたくしから去っていきました。日本語で「艱難汝ヲ玉ニス」といいますが、わたくしの場合まさにそうであり、その試練は自分自身の成長のために必要なものでした。

その後も片瀬教会時代には脳梗塞で倒れたり肺炎にかかったりといろいろありましたが、もう信仰がゆらぐことはありませんでした。苦しくなった時には、「私だ。私はあなたと共にいる」というイエスの声を感じます。とても力強い言葉です。

典礼聖歌で歌う「力の御言葉を私にも聴かせてください」、これは使役動詞です(笑い)、イエスに「あなたの力を発揮してください」と強く願う祈りです。

祈りにより神と通じ、さらに信仰が強まる...皆さんにも似たような経験があるはずです。祈りにより神との接触を日々続けることはとても重要です。主を誇り、恵みの御言葉を聴きましょう