2010年7月18日 年間第16主日   (C年)

先週の日曜日は私たちは善きサマリア人の例え話を読みました。そのメッセージは祈りだけでは不十分であり、わ私たちは隣人愛の実行も必要である、ということでした。今日の聖書では、「行動」の例え話が示されています。そしてそのメッセージは、隣人愛だけでは不十分で、祈りも必要である、ということです。愛の実践と祈りのバランスが大事であることに注意しましょう。

今日読まれた創世記では、アブラハムが寛大な優しさを示し、それを通して神と出会い報われたのです。福音書ではマルタとマリアがイエスに親切なもてなしを行ない、イエスは存在と優しい言葉をもって彼女らに報いています。
イエスはマルタに優しく呼びかけています(二度も彼女の名前を繰り返します)。「マルタ、あなたは心配し過ぎです!」 しかし、私たちの多くはまさにマルタのように心配しているのです。私たちは不安を背負っていて、マルタと同じようにストレスを抱え、「ああ、こんなにも忙しい」と呻いているのです。
このような日常の中、私たちは何ができるのでしょうか。今日の一節にその答えがあります。「あなたの悩みを主に託しなさい。なぜならば、主はあなたの面倒をみてくださるからです。」(ペテロ第一の手紙5-7) 言いかえれば、神を信頼して、あなたの悩みをあなたの祈りの原材料としましょう。神は本当に私たちを愛し、面倒を見てくださいますから。これがマルタの祈りです。

一方マリアの祈りは、また異なったやり方です。マリアは静かに座り、イエスの言葉を聴いていました。私たちもこのように祈ってみましょう。聖書を開き、祈りの心を持ってゆっくりと読み、イエスが私たちに語りかけることに耳を傾けましょう。イエスは、特に、聖書を通して私たちに語りかけてきます。
ラザロの家族、ベタニアのマルタやマリアに対してそうであったように、イエスは私たちに対しても友達になりたいと望んでおられます(ヨハネ福音書第11節)。
祈りとは友人同士の親しい会話です。私たちは実際、何でもかんでも、イエスに話してよいのです。イエスは「私はあなたを友と呼ぶ」と言っておられます。そして聖書を通して、生きている声で、次のように言っているのです。「聞きなさい。私戸口に立ってたたく。私の声を聞き、戸を開くなら、私は中に入って、その人と食事を共にする。」(黙示録3:20)
私たちの心の扉を開き、イエスを親切にもてなしましょう。