年間第5主日(A年)2005年2月6日

洗礼式の際、私は受洗者に「キリストの光を受けなさい」「光の子として歩みなさい」と言います。これは、この現代の社会において、私たちは「心の灯(ともしび)」「地の塩」になることを意味しています。

今日の福音(マタイ5・13−16)の中でも、イエスは弟子たちに「あなた方は地の塩である」そして「あなた方は世の光である」とはっきりおっしゃっています。世の中に「味わい」や「光」をもたらす者、とはどのような人でしょうか。

昨日(2月5日)は日本26聖人殉教者の記念の祝日でした。今から400年前、1597年2月5日、長崎において26人が信仰を貫き天に召されたのでした。私は歴史が好きですが、この日本の26聖人の殉教に心惹かれます。特に、厳しい冬のさなか、京都から長崎まで彼らが護送された最後の旅には心打たれます。

キリスト教禁教に背いた見せしめとして、彼らは耳をそがれ、大変悲惨な姿で各地を巡ったのでした。太閤秀吉の意図は一般民衆にキリスト教の無力さを見せつけることにありましたが、実際にはまったく逆の結果となってしまいました。国籍も違い(26人中、20人の日本人と6人の外国人)、階層・職業も違う(侍、農民、商人、大工など)26人は、どんな苦難にあっても、どんな棄教の誘いにあっても、お互いを優しく思いやり、一致して信仰を守りました。また、人々に信仰の喜びを語り、そして自分達を処刑しようとする人たちをも許すと述べています。大勢の人々はそれを見て感銘を受けました。ある人は「彼ら(26聖人)を見てはじめてキリストの生き方を理解しました」と言っています。

26聖人はまさにイエスの「証し人」でした。皆さん、この平成の時代に横浜・保土ヶ谷で、私たちは「証し人」となっているでしょうか? 私たち一人ひとりが、家庭・学校・会社・地域など、関わりを持つ様々な集いのなかで「証し人」となっているでしょうか。

単に「私はカトリックです」、というだけでは何にもなりません。マザー・テレサは「微笑みは平和の始まりです」と言っています。難しい社会、難しい状況に流されて、難しい顔ばかりしていませんか? 人間関係で傷を受けた時であっても、人に許しを与えることができるでしょうか。

私たちは平成時代の証し人です。社会の味となれるよう、光となれるように、笑顔で天に召されていった26聖人のご加護を願いましょう。

聖トマス小崎の母への手紙 (当時14歳)
「母上様、聖主のお恵みに助けられながら、この手紙をしたためます。罪標にしるされている宣告文にありますとおり、私達霊父様以下二十四名(途中二人が追加された)の者は、長崎で十字架につけられるようになっています。どうか私のことも、父上ミカエルのことも、何一つご心配なさらないでください。天国で母上様のおいでをお待ち申しております。 この世の全ては夢のごとく消えうせてしまうことを思い、天国の永遠の幸福をゆめゆめ失うことのないようにおこころがけください。ひとが母上にいかなることをしようとも、忍耐し、かつすべての人に多くの愛をお示しください。 それからとりわけ弟マンショとフィリポに関しては、彼ら二人を異教徒の手にゆだねることのないように、よろしくお取り計らいください。安芸国三原の牢獄より