四旬節第1主日(A年)2005年2月13日

四句節が先週の水曜日(灰の水曜日)から始まりました。灰の水曜日とは、四旬節の第一日曜日に先立つ前の水曜日でその日、灰の祝別式と塗布式とが行われるところからその名前があります。古くから行われている、ひたいに灰を塗るという儀式、これは四旬節のはじめにあたり深い痛悔の象徴と考えられています。

あなたはちりであり、ちりに帰ってゆくのです。(創世記3-19)

この言葉は決して暗いイメージでとらえられるべきではありません。人間である以上、肉体的な滅びは免れませんが、復活があるからこそ回心して復活を信じなさい、というものが本当のメッセージです。

今日の第一朗読(創世記2・7−9,3・1−7)は有名なアダムとイブの話です。創世 記の1章から10章までは、神話のように面白いストーリーでこの世のはじまりが示され ています。私たちはその面白さ・字句上の事柄よりも、その裏の深い意味に注目しなくて はなりません。それは、まず人間は神との間に暖かいかかわりあいがあったこと、そして その関係は人間が悪と関わることにによって壊れてしまったこと(原罪)ということがあ ります。この原罪という概念は、いろいろな国においても、キリスト教の神を怖い・厳し いものと誤解させることがあります。

しかしここで重要なことは、救い主イエス・キリストが現れ、損なわれた人と神との関係を回復させ、親しい交わりを回復させてくれたということです。今日の第二朗読(ローマ5・12−19)でも「恵みの賜物」について説明がありましたが、この恵みにより神におそれることなくに近づくことができるようになりました。神は暖かい友情を人に与えてくれました。「私はあなたを友と呼ぶ」とイエスは最後の晩餐の際に言いました。私たちはこの友情に応えることができるでしょうか。

4世紀、聖アウグスチヌスは神は「私達をすべて知っていて、つまらない私たちのありのままをすべて理解し受けとめ、そして深く愛してくださる」と説明しています。これを深く信じるならば、私たちの毎日の生活は大きく変わります。イエスは100%神であるとともに、100%人間でもありました。イエスの人間性を通して、私たちは神に近づくことができます。イエスは人間でもあったので、友達からの裏切り、様々な誘惑など人間の経験することはすべて経験しているのです。

あわれみを受け、「恵みの賜物」に向かって大胆に恐れずに近づいていきましょう。結局、神様は「愛」なのです。それは回心し、福音を信じることによって可能となるのです。

私たちは肉体的にはいずれは死に、ちりに帰っていかなければならないので回心を先延ばしにすることはできません。祈りを通して暖かい交わりをつくることができるようになります。

これから皆さんに灰を塗りますが、自分の具体的な回心とはどのようなことでありえるのか、考えてみましょう