四旬節第3主日(A年)2005年2月27日

今日も祈りについて話したいと思います。アヴィラの聖テレジア(1515−1582)は祈りの博士として多くの本を書きました。その本のなかで、「イエス様は私達をありのままに受け入れ愛してくださいます」とし、そして私達神に祈る者は「その神の呼びかけを受け入れ、親しい友としての交わり・対話を行う」ことが祈りであると説いています。

今日の福音(ヨハネ4・5−42)はこの聖テレジアの説く「神と人間の親しい交わり」がイエスご自身によって示されています。

今日の福音、おそらく聖書で一番重要な「井戸端会議」でしょう(笑)、神と人間の親しい交わり、祈りの模範というべきものです。

旅に疲れたイエスがサマリア人の町の、とある井戸のわきで休んでいます。そこに通りかかったサマリア人の女にイエスは「水をのませてください」と頼み、会話がはじまります。当時のユダヤ人はサマリア人を律法にそむいた人々として毛嫌いしており、サマリア人と口をきくことすら穢れるとして禁じられていたのです。そのような背景のなか、イエスは自らお願いをすることから会話を始めます。

神との祈りのありかたを象徴する、このイエスとサマリア人の女との会話には三つの特徴があります。第一の点は神は人間のことをよくわかってらっしゃるということです。イエスは人間の体験をなさいました。イエスは実際に人間として「疲れて、のどが渇いて」おり、「水を飲ませてください」と女に頼んだのです。

第二の点はイエスは私達とはなしたいのです。話しかけられた女は、はじめはとてもびっくりしましたが、徐々にイエスに心を開いていきました。そして、はじめはむしろ失礼なものの言い方で始まった会話も、イエスが神であると確信するようになっていきます。他の人が書いた祈りを使って祈ることも大事ですが、一番重要なことは自ら自分の言葉で神と親しい会話、祈りを行うことなのです。

第三の点は、神は私達を、心の一番下の部分のあるがままを、受け入れてくださるということです。サマリア人の女は、過去五回結婚し現在は別の男と同棲中でした。イエスは女の過去について非難することもなく、淡々とそのことを知っていると述べ、あるがままを受け入れています。女はそのようなイエスに安心し信頼するようになります。

皆さん、このように神はありのままの私達を受け入れてくださいます。人間関係で心の傷を負った時、人や自分を許せないと思う問題があった時、ありのままの自分を神に示し、神と親しく話し合いましょう。それにより真の自由、解放を得ることができます。これこそが「命の水」と呼んでいるものなのです。

イエス様は私達の良い点悪い点すべて受け入れてくださいます。遠慮なく、すべてをさらけ出して祈りましょう。サマリア人の女はイエスとの会話の後、自分の周りの人々にイエスがまさにメシアであると伝え始めました。これはキリスト教の宣教の基本となっています。

神との心と心の親しい話し合い。四旬節の運動としてこのような祈りをいたしましょう。