復活節第5主日(A年)2005年4月24日(日)

今日の福音(ヨハネ14・1−12)では、最後の晩餐において、イエスが弟子たちに「私は道である」と述べられています。これはどのような意味でしょうか。

最後の晩餐において、イエスは現世的な意味での別離を弟子たちに伝え、動揺する弟子たちに向かってイエスは確かな約束を語るとともに、大きな信頼を求めています。この時、トマスという弟子、この人は後にイエスが復活なさった後もなかなか信じようとしなかったのですが、このトマスが「イエスが今後どこへいくのかわからないし、後を追おうにもその道を知ることもできない」と言います。これは、それまででイエスが言い続けてきた教えをトマスが十分理解できていない、イエスの教えを十分に信じていないということになるのですが、そんなトマスをイエスはあるがままに受け入れ、優しくはっきりと「わたしは道である」とおっしゃっています。トマスの信仰は、私達の信仰と同じように薄いものでしたが、神様はこのように優しく受け入れてくださるのです。逆説的ですが、トマスの薄い信仰・疑いのおかげで神の美しいみ言葉を聴くことができたのです。

さて道といえば、私は東山魁夷の絵が大好きで、この道の絵がとても気に入っています。(掲げる)一直線に天に向かって伸びる終わり無き道。私たちは人生の道を歩んでいき、いずれ神様のところへ帰ります。今、その途中です。そのようなはてしない雰囲気をこの絵から私は感じます。

また自分のことで恐縮なのですが、20年前、私が初めて大磯教会へ行ったときのことです。大磯駅を出て、私は親切そうな人に「大磯カトリック教会はどこですか?」と尋ねました。その方は「ああ、よく知っています」と答え、熱心に説明してくれました。「ここをしばらく行って左に曲がってから道なりに行って、国道一号線にでるのでそこで左折して、それから5百メートルくらいあるいてヤクルトの工場があるところで道をわたって右に曲がり、それから右に曲がって路地にはいり、それから最初で左にまがりそれから二つ目で右...」 私の顔は暗くなっていたことでしょう。そんな私の顔をみて、その方は「では、わたしも一緒にその教会まで一緒にいきましょう!」と言ってくださいました。その時、その方は私の道となりました。

イエス様はこのような方です。私たちと一緒に人生の道を歩んでくださいます。私たちは決して一人ぼっちではなく、人間的な弱さもよく理解しているイエス様から、大きな慰め・支えをいただくことができます。

私達が信じるこの宗教が「キリスト教」と言われるように、いろいろな教義やその他の大切なものの中でも、最も基本的で大切なものが主イエス・キリストそのものです。「私は道である」とおっしゃってくださった私達の友なるイエスの御言葉を味わいましょう。