聖霊降臨の主日(A年)2005年5月15日(日)

今日は聖霊降臨の主日です。この日は別名、教会の誕生日とも言われます。これは聖霊が降り、そして初めてキリスト教会として布教が始まったからです。

私たち信者は「父と子と聖霊」の十字のしるしをきります。また「聖霊の交わり」という言葉もよく使われます。父なる神、その神がこの世に遣わされた御子イエス、は私たちにとってイメージしやすいものですが、それでは「聖霊」とは何でしょうか。
私たちの信じる神は、父と子と聖霊の三つの部分からなるとも言われ、あるいは三つの面があり、唯一、一つの神となっています。聖霊も神の一部あるいは一つの面であり、私たちを助け、慰めてくれるものです。自分の人間的な弱さを認め、神の助けが必要であることを認めることは、抵抗があるかもしれません。しかし謙虚にならなくては、自分一人よがりで祈っていても、その祈りには味がありません。私の祈りに風味を与えてくださいと聖霊に祈りましょう。共同体の人々とうまくいかず教会に来にくいような時、聖霊に来てくださいと祈りましょう。聖霊によって助けてもらえるのです。
聖パウロのコリントの教会への手紙の中で、教会が分裂と対立の危機に瀕していたとき、聖パウロは祈りと聖霊の力によって「多様性の中の一致」を実現していきました。
今日、お知らせの裏に掲載した「聖霊への祈り」を祈ると私はたくさんの響きを感じます。皆さん、今週はこの「聖霊への祈り」をゆっくりとかみしめて祈ってみましょう。

聖霊への祈り
聖霊、来てください。
あなたの光の輝きで、わたしたちを照らしてください。
貧しい人の父、心の光、証しの力を注ぐ方。
やさしい心の友、さわやかな想い、
ゆるぐことのないよりどころ。
苦しむときの励まし、暑さのやすらぎ、
うれいのときの慰め。
恵みあふれる光、信じるものの心を満たす光。
あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、
だれも清く生きてはゆけない。
汚れたものを清め、かわきをうるおし、
受けた痛手をいやす方。
かたい心をやわらげ、冷たさを暖め、
乱れた心をただす方。
あなたのことばを信じて、
より頼む者に尊い力を授ける方。
あなたはわたしの支え。
恵の力で、救いの道を歩み続け、
終わりなく喜ぶことができますように。
アーメン

イエスは神でありながら人間であることを経験されました。イエスのとりなしの力のおかげで私たちのもとへ聖霊がきてくれます。聖霊とはおだやかな風のような、神からの息吹です。

皆さん、この鐘の音を聞いてみましょう。(鐘を打ってならす。残響が長く静かな聖堂に残る。)

説教中の眠気をさますのにはよいでしょう?(笑)
聖霊とはこのように静けさのなかで感じとられる、やさしい穏やかな、神からの息吹です。私たちは日々忙しい毎日のなかで、心の雑音でいっぱいです。しかし、静けさに包まれ祈る時間をすこし持つことは、不可能なことではありません。祈りを通して聖霊の助けをいただきましょう。

今日の福音(ヨハネ20・19−23)は、イエスの弟子たちが、イエスがこの世から去ったあと、ユダヤ教徒の来襲をおそれて隠れ家で共に祈っている場面から始まります。弟子たちは、ユダヤ教徒からの来襲をおそれていただけでなく、公の場でイエスの「証し人」となろうと思っていても、そうなる自信がありませんでした。そこへイエスが現れたのです。イエスはそんな弟子たちを優しく受け入れ、息(ルーハ)を吹きかけたのです。この聖霊の息吹を得て、弟子たちはイエスのメッセージを伝えるべく、隠れ場から出て、すべての国、すべての民族への布教を始めたのです。

聖霊の助けがなければ、私たちの信仰は口先だけとなってしまいます。心の耳を澄ませ、聖霊の助けを受けましょう。聖霊の力により、私たちがすべての人々への証し人となれますように。