三位一体の主日(A年)2005年5月22日 <<グンテル助祭説教>>

父と子と聖霊の
温かい愛に
入りましょう

今日は三位一体の主日です。
私たちは祈る時に、あるいは神様からのご加護を願う時に、「父と子と聖霊」の十字のしるしをきります。この十字のしるしは、三位一体を信じるという信仰宣言にほかなりませんが、この三位一体の神秘は私たちの実際の毎日にどのようにかかわってくるのでしょうか。

春は教会の教義にとって重要な主日が続きます。四旬節の後にご復活、そして聖霊降臨とともに教会が始まったことを記念し、そして今日の三位一体の主日となります。

長いカトリック教会の歴史のなかで、様々な神学者たちが三位一体の神秘を議論し解説してきました。今日は神学的、学問的な意味ではなく、わたくし達の日常の暮らしのなかで三位一体がどのような意味を持つかお話したいと思います。

わたくし達が生きる現代の世の中では、マスメディアの発達のおかげで極めて大量の情報が瞬時に得ることができます。わたくし達は世の中の人々の動きについてよく知っています。しかし自分自身について、親しい人間的なコミュニケーションをまわりの人たちととれているでしょうか。現代社会が効率を求め競争的になっていけばいくほど、わたくし達も利己的・排他的とならざるを得ず、隣人をも競争者として見てしまいがちになります。
今の日本では多くの人が大きな町や横浜のような大都会に住んでいますが、本当に親しい人間的な交わりを持てる機会は実は少ないのではないでしょうか。さらに言えば、現代社会の競争的な雰囲気に流されて、折角得た隣人とのコミュニケーションもうまくいかず、大都会の中で孤立し寂しさを感じている人は少なくないと思います。

三位一体の教えの基本は、まず神の本性は「愛と感性の交わり」であるということです。「父と子と聖霊」から成る神の本性は愛であり、その愛は感性の共同体の形をとっています。この愛の共同体の中には利己心や憎しみはありません。今日の福音(ヨハネ3・16−18)にあるように「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」のです。三位一体の教えのわたくし達の日常への意味は、わたくし達が隣人と連帯し愛の交わりを拡大していく模範・励みになるということです。

もちろんわたくし達は神ではなく限界ある人間でありますので、利己心や憎しみを捨て去り愛の交わりを広げることは簡単なことではありません。努力すればするほどその難しさを認識することもあるでしょう。しかし困難に直面しても、それは失望することではなく、むしろ乗り越えるべき障害、キリスト者としてあらたな仕事が現れたと考えましょう。祈りによりわたくし達の信仰を強め、与えられた使命を果たせるように、愛の連帯を強めていきましょう