年間第10主日(A年)2005年6月5日(日)

「私に従いなさい」
心の船に帆を張り
風によって帆を
調節しなさい

皆さん、私たちが聖書を開くとき、決して大昔のことを書かれたお話と思わないでください。今日の福音(マタイ9、9−13)は遠い二千年前のできごとではなく、今、現在の私たちに対する神様からの直接のメッセージなのです。今日、この瞬間、イエス様は「私に従いなさい」と呼びかけているのです。

信仰生活というものは平坦な一本道ではありません。子供時代の信仰、青年時代の信仰、大人時代の信仰というように、その内容とありかたは変わってきます。変化に対応して、順調の時も逆境の時も、目的地に到着することを信じて、帆を操る...。わたくし達の信仰生活は、この挿絵に描かれた帆掛け舟をあやつることに似ています。この挿絵は百科事典から写してきたものですが、順風で波も穏やかな時には普段の帆の外に特別な帆(*)を前に張って、スピードを出します。一方、嵐になった時には小さな帆をはり(**)、小さな帆をたくみに操って嵐をやり過ごすことになります。

私自身の信仰生活も、この帆掛け舟のようでした。20代では元気いっぱい、すべての帆を張り、思いっきり勉強と仕事に打ち込みました。30代にはいり、大きな病気をはじめて経験しました。これは信仰の帆を操るわたくしにとってまさに最初の嵐の経験でした。嵐の中の帆の調節はとても難しく、暗くうつろな心の嵐の中でのつらい経験でした。そして40代では、心の雑音ばかりで、私の帆掛け舟はとまってしまい、漂流しはじめたのです。

このように暗くてつらい嵐の中にあっても、水平線上にわずかに輝く、あけぼのの光のように、私は「主イエスは必ずあらわれる」というお招きの声を聞くことができたのです。そして50代になると私は新しい出発をきることができました。日本に戻り、日本での仕事の中に「私に従いなさい」というイエスの声をあきらかに聴くことができたのです。

ところが、です。60代にはいり脳梗塞で倒れてしまいました。乗り越えたと思ったらまた嵐、一難去ってまた一難です。また、神様への沈黙、「うつろな気持ち」の再来です。しかし、私は懸命に祈り、「私に従いなさい」という声を聴くことができました。70代に入った現在では、記憶力・体力・健康の衰えは、残念ながら隠すことはできません。嵐、の連続であります。しかし嵐になっても、もう私は落ち着いて信仰の帆を操ることができます。私の帆掛け舟は沈むことはありません。

エンジニア、事務員、会社員、自営業...ここにはいろいろな種類の職業の人がいます。そして人はそれぞれの人生のなかで、様々な人生の転機を迎えます。就職、結婚、出産、子育て、巣立ち、そして愛する人との別離、死別など。それぞれの人生の中に、それぞれの転機がむしろ唐突に生じ、まさに人生の大嵐というべき巨大な悩みや苦しみの中に放り出されることがあります。

このような嵐の時こそ、心の帆を張りイエスからの呼びかけ、「私に従いなさい」という声に気づきましょう。そしてこの呼びかけに応えて、神様のために時間を使いましょう。
神様のために時間を使うということは、
(1)祈りを通じて神様と直接心の交流を図る、ことと
(2)隣人のために時間を使う、ということです。

婚姻の秘蹟の誓いにあるいように、「順調の時も逆境の時も、健康の時も病気の時も」、私たちは心の舟に帆を張り、風によって帆を調節します。暗闇の嵐の中でこそ、小さくとも帆を張り、神様からの呼びかけに耳を澄ましましょう。

「私に従いなさい」

*普段の帆、特別な帆
一般的なクルーザー型ヨットではメインセール(主帆)、ジブ(横帆)の外にスピネーカーという大型の帆があり、順風(およそ75−180度のポジション)の場合のみ展張される。
**小さな帆を張る
強風・荒天時には、ヨットは風に合わせて帆を縮小し(「縮帆」(リーフ))、重心点を下げるとともに操舵性を確保しなければならない。通常、まずメインセールを縮帆し、次にジブを小さなものに交換していく。強風下のジブ交換は技術が必要である。また極端に小さなジブに交換すると速力の低下を招きかえって危険な場合もある