年間第11主日(A年)2005年6月12日(日)

「収穫は多いが、働き手は 少ない」

(グンテル助祭)

マタイによる福音書は、イエスによる許しや癒やしの場面が多く語られています。今日の福音(マタイ9・36−10・8)では、そのようなイエスによる許し・癒やしが、さらに弟子たちを派遣することによって、より大きな布教活動へ変わっていく様子が述べられています。

イエスは群衆が「飼い主のいない羊のように」弱り、打ちひしがれているのを見て深く憐れみました。そしてたくさんの人々が神の助けを求めている様子を、畑にたくさんの作物が実ったのに、それを収穫する働き手が少ない、とたとえられました。イエスは弟子たちを呼び、神の教え・許しと秘蹟によって、イスラエルのすべての人々に神の愛と許しのメッセージを伝えるよう送り出したのです。

この神からのメッセージを伝えるという大きな仕事のために、イエスは弟子たちに権能をお与えになりました。弟子たちは自分達の声でなく、イエスの名において宣教を行ったのです。

これらの弟子による最初の宣教が、「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町にはいってはならない」とイスラエルのみに限定されていることに、厳しいと感じるかもしれません。弟子たちがさらに特別な権能を与えられ、文字通り全世界へ派遣されていくのはイエスのご復活の後、神の御約束がイエスの復活により成就された後のことなのです。

弟子たちは病者を癒やしたり、悪霊を追い出すなどの権能をイエスからいただきました。しかし、この権能は神からいただいたもの、イエスは「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」と弟子たちを厳しく戒め、自らの利益ために利用することを禁じています。

物質的には豊かになりましたが、現代の複雑化した世の中で、神の癒やし・助けを求める人々はますます増えています。物質的、外見的には普通でも、その内面はまさに「弱り・打ちひしがれている」、のではないでしょうか。私たちイエスに従う者たちは、言葉と行いによって神の愛と許しのメッセージを全ての人々に伝えていきます。彼等が忠実にその任務に応えられるように、収穫の主である神様に私たちの祈りを捧げていきましょう。