年間第16主日(A年)2005年7月17日(日)

「神様は私たちの
長所も短所も知っておられ、
ありのままに受け入れてくださる」

今日は毒麦のたとえ話についてお話したいと思います。

まず皆さん、「いつくしみ」という言葉を知っていますか。イエスはその教えの中で何度も使っており、この言葉の深い意味を知るのは非常に大切です。「いつくしみ」は神様の私たち自身への愛の特徴です。この神の人間に対する態度は、今日の答唱詩篇(詩篇86・5+6、15+16)において、とても美しい言葉で語られています。

神よ、あなたは恵み深く、心の広いかた。
あなたに助けを求める人にいつくしみを注がれる。
神よ、わたしの祈りを聞き、願いの声に耳を傾けてください。

神よ、あなたはあわれみに満ち、恵み深いかた。
怒るにおそく、いつくしみとまことにあふれておられる。
あなたのしもべに力を授け、あなたに仕える者を救ってください。

さて、神様の「いつくしみ」についてこのように理解したうえで今日の福音(マタイ13・24−43)にある毒麦のたとえ話を想いおこしてみましょう。

午後5時ごろ、昼の暑さもやわらぎ涼しい風が吹き始めています。地主が従者をつれて自分達の畑を見に来ています。豊かに実った一面の麦畑に二人はとても満足そうです。しかし二人が麦畑をみていると、ふと毒麦が中にまぎれこんでいるのを見て驚愕します。とりみだした従者は、すぐに毒麦をすべて抜きましょうと進言します。しかし地主はこれを制して、「いますぐに毒麦を抜こうとすると、地中で根が絡み合っている良い麦まで一緒に抜いてしまう。刈入れの時に毒麦を選別し、焼却すればよい。」と指示します。

さてこのたとえ話の意味はどのようなものでしょうか。たとえ話の目的は聞く人に考えさせることです。皆さんもよく考えてみましょう。

私は、ここでイエスは二つのことを言っておられると思います。

まず神様のいつくしみです。
神はすぐに悪いことに対して罰を与えるのではなく、回心を待ってくださいます。私たち人間の心の中にも、良い麦・悪い麦があります。この世に完璧な人間など一人もいません。心の中に光と陰、長所と短所、強さと弱さがそれぞれあります。これは中国の伝統的な思想である陰陽の考え方と同じです。私たちは、自分の「陰」の部分、暗い点を受け入れているのでしょうか。自分をまず受け入れなければ、隣人を受け入れることはできません。

つぎに私達の身近な人々、隣人へのいつくしみです。
私達の共同体の中には、熱心な信者・不熱心な信者・中くらいの信者などいろいろな種類の信者がいます。まわりの人がどうであろうと、神様の自分へのいつくしみは一緒、変わることはありません。私達は天使の共同体でなく、先ほどの陰陽の二面を持った、普通の人間の集まりです。相手をありのままに受け入れましょう。神様から戴いたいつくしみを、今度は他の人に与えるということは、もっとも基本的で重要なことです。

この麦のたとえ話について申し上げたいことは、明日を担う子供たちのことです。たとえ子供・孫達が自分の思うとおりでなかったとしても、「良い麦」となるかもしれないのです。親は自分の子供のために祈り、おじいさん・おばあさんは自分の孫達のために祈りましょう。