年間第32日(A年)2005年11月6日(土)

父なる神よ
子供たちとその両親の上に
豊かな祝福を
お与え下さい

今日の福音(マタイ25・1−13)の10人の乙女のたとえ話は、ちょっと厳しくて固いと思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。5人の賢い乙女と5人の愚かな乙女。賢い乙女たちは、灯油を用意していたので花婿が夜遅れて到着しても問題なく婚宴の席につけましたが、灯油の用意を怠った乙女たちは油ぎれとなり、油も分けてもらえず結局婚姻の席につくことはできませんでした。賢い乙女たちはちょっと厳しいなと思う人もいるでしょう。いつもお話しているように、たとえ話は私たちにものごとを考えさせることが目的です。ここに込められている神様のメッセージについて、少し考えてみましょう。

この時代のともし火とはこのようなものです(皿に灯心がついた灯火を掲げる)。このともし火の中の油は、イエスの時代には「おもいやり」「親切」のシンボルでした。このたとえ話の中で、「おろかな乙女たち」というのは自己中心的な人間を人々を指しています。油のない人、つまり世の中を照らすともし火の燃料である、親切心やおもいやりが無い人のことを言っているのです。今日ここに集まっている子供たち、皆さんに言います。「おもいやり」がどんなに大事かということについてよく考えてください。学校やそのほか子供たちが集まるところで、寂しそうにしている人、いじめられている人がいるでしょう。そのような人たちに暖かい声をかけましょう。そして自分たちを育ててくれるお父さん・お母さんに親切にしましょう。お父さんお母さんが家で疲れていてあまり声をかけてくれなくても、自分からお父さんお母さんに挨拶し、できることをしてあげましょう。自己中心的になってしまうことは一番良くないことなのです。

私たちの社会は、毎日とても忙しい物質万能の時代です。このような厳しい競争社会の中では、人々は自己中心的になるよう仕向けられがちですが、その結果、行き着くところはとてもむなしいところです。イエスの時代から、人間はその限界をわきまえ、神へのあこがれ、願いを素直に述べていました。
今日の答唱詩篇(詩篇63・2、3+4、5+6)にあるように、私たちは、飢え渇き、神を探し求めているのです。私たちは人間だから、その悩みの中にあって神を捜し求めているのです。
今年9月、読売新聞に「日本人の宗教観を問う」というアンケートがありました。この調査では、「あなたは何か宗教を信じていますか」という問いについて、75%が「特にない」という回答であったということです。現代人は毎日忙しい日々を競争社会の中で過ごし、心をすり減らす一方です。本当の意味で、その慰め、癒しになる「神」については、それを考える時間もないくらい忙しく暮らしているのです。そうした毎日の繰り返しで、物質的には満たされていても、砂をかむような味わいの無い日々に、深い疑問を持ち、さらには絶望に至る人もいます。
私たちは人間ですので、心の中に神へのあこがれがあります。神だけがそのあこがれを満たすことができます。心の渇きを満たせるのは、神のみです。長いおおげさな祈りはいりません。毎日、導きを神に頼みましょう。祈りを通した神との対話によって、毎日の暮らしに「希望」があらわれ、自分自身の心の持ち方に「明るい感じ」がでてきます。

今日は日本の慣習に則り、子供たちの成長を祝う七五三の祝福を行います。お父さんお母さん、子供たちが本当の知恵を身につけ神の愛とともに成長を続けますように。