2006年12月3日 待降節第一主日 (C年)

今日から待降節が始まります。待降節とはイエスの誕生、つまりクリスマスについて3週間にわたり心の準備を行うことをいいます。
今日の福音 (ルカ21・25−36)ではイエスは私たちに、優しく次のようにさとされています。

「生活のわずらいで、心が鈍くならないように注意しなさい」と。

ギリシア語ではこの「わずらい」とは「メリンナ」と書かれており、ギリシア語の新約聖書原典では多用されています。例えば有名なイエスの「まかれた種」のたとえ話でも使われています。雑草のなかにまかれてしまった種は、発芽しても雑草、つまり日々の暮らしのわずらいによって、立派に育つことはできない、つまり神の説く生き方を実践できなくなってしまう、というたとえです。イエスの12人の弟子も、彼ら自身の将来について、不安を感じていました。イエスは次のように言っておられます。「空の鳥、地の花々を見なさい。神は鳥一羽一羽、花一本一本、どこにあるかご存知です。ましてや、神にとってもっと大切な人間については、なおさらのことです。ですから、心配(ギリシア語の動詞形ではメリンマ)する必要はありません。」

しかし、激しい競争社会で多忙な日々をおくる私たちは、物質的に何を所有するか、良い学校、良い仕事につけるか、そしてどのように昇進、発展していくかに心を砕き、その結果私たちは皆、生活にわずらわされ、不安を感じているのです。

このような私たちにイエスはどのようなお導きをくださっているのでしょうか?

一言で言うならば「信頼」です。

神を信頼しましょう。なぜならば神は私たち一人ひとりを気にかけてくださるからです。神は私たち一人ひとりに次のように言っておられます。
「私の目にはあなたは尊く私はあなたを愛している。恐れるな。」(イザヤ書)
これが空の鳥、地の花のメッセージです。しかし今日、ペトロ第一の手紙で言われているとおり、「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」(1ペトロ:5−7)のです。今日の福音ではイエスは私たちに「いつも目をさまして祈りなさい」と言っておられます。
神は私たち一人ひとり誠に気にかけてくださいますので、祈りを通じて、その優しいみ手に私たちの一切の心配事、不安をゆだねましょう。それが心の平安に至る道なのです。