2006年12月24日 待降節第四主日 (C年)

今日の聖書(ミカ書5:1−4詩編80編ヘブライ10:5−10ルカ1:39−44)は、深い祈りを行う者にとって示唆に富むものがあります。ミカ書と詩編では、救い主とは、自分の群れの一匹一匹を本当に気にかけて世話をするような、羊飼いにたとえられています。また今日の福音では聖母マリアが自分自身の都合や計画をおいて、いとこのエリザベスを助けるために四日間の旅に出発する情景が描かれています。ここでマリア様は、私達にお手本をみせてくださいます。

ここでヘブライ人への手紙にあるこのキリストの言葉を見てみましょう。「神よ、どうぞご覧ください。わたしは来ました!」 私たちが祈りを始める時にもこの言葉を使ってみましょう。祈りとは私たちと神との出会いの場、私たちは何も包み隠さず、素直に神と対話するのです。最初に私たちは神に対し、「神よ」と呼びかけます。これにより私たちの祈りは、軸がすわり、はっきりしたものとなります。そして次に言うのです、「わたしは来ました!」と。これは、包み隠さず、あるがままの私自身で神の前に来た、ということを意味します。
普段のように自分自身を飾ったりせず、あるがままの弱さ・はかなさを抱えた人間として、そして時として少し壊れてしまった人間として、神の御前に立つのです。神ご自身も人間であることを経験されていらっしゃいますから、その弱さ、はかなさ、壊れやすさをとてもよく理解してくださいます。ですから、「わたしは来ました!」という言葉にはとても深い意味があります。しかし、このヘブライ人への手紙にあるように、私たちはさらに「わたしは【あなたのご意思を果たすために】来ました!」と付け加えたいと思います。「神よ、私はあなたが私を本当に気にかけてくださることを知っております。私のすべてをあなたの御手にゆだねます」  

自分自身の言葉で、このような祈りをしてみましょう。今あなたの心の中にあるものが、あなたの祈りの材料となるのです。