2007年1月14日 年間第2主日(C年)

ヨハネによる福音書の中でイエスは奇跡を7回しか起こしていませんが、 これを行うにあたってイエスは特別な言葉をつかっています。イエスは奇跡を 「しるし」と呼んでいます。奇跡は実際にあった歴史的事実ですが、それだけ ではなく、現在に生きる私達により深い意味を示しています。

今日の福音 (ヨハネ2・1−11)ではカナの婚礼でイエスが水をぶどう酒 に変えた奇跡が描かれています。ここでは、「イエスは、この最初のしるしを ガラリヤのカナで行って、その栄光を現された。」と記されています。

ユダヤ教の清めの儀式のための水をいれた壺が6個ありました。それは、 厳格に強制された宗教的儀式のための味気のない水でした。このとき神は恐れ 多い、遠いものであり、神との交流は楽しいものではない、味気の無いものでした。

イエスはそれをすべて変えてしまったのです。神は、イエスが人間としても 一生を送ったことにより、とても近いものとなり、私達人間はよろこびをもって 神と話せるようになりました。味気の無い水が、喜びをもたらすぶどう酒に変容 したのです。

イエスは神が人間になったものです。新郎新婦が、食べたり飲んだり、笑ったり、 贈物を楽しんだりしていたカナの婚礼に、神は現れたのです。新しい時代の訪れ、 「しるし」とはこれを現すのです。イエスは喜びを私達に伝えるために人の世に 現れました。イエスは私達を彼の饗宴、彼の食卓に私達を招いているのです。

私達が痛み、悲しみに苦しんでいるときですら、この神の特別な喜びを経験 することができます。ではどのようにそれはできるのでしょうか?

こころを落ち着かせ、静かに祈ってみましょう。そして、神の声、「恐れるな、 私はあなたとともにいる」を聞きましょう。

私達はけっして一人ぼっちではなく、わたしたちには同伴者、助けてくれる方が います。これこそが、「喜び」の源泉なのです。

しかし、この喜びを得るために、イエスは二つの事を私達に望んでいます。 それは、(1)祈りを通じた神との交流(「私のもとに来なさい....」)、 (2)隣人とこの信仰と喜びを互いにわかちあう、ということです。

これを読まれる皆様が、この「喜び」を味われるよう、神に祈ります。