2007年1月28日 年間第4主日(C年)[ケンズ神父]

第一朗読で描かれているエレミアはとても人間的な預言者でした。人々はエレミアとその教えを拒否したので、彼は非常に傷つきました。心に傷を負ったエレミアに対して神は次のように言いました。「恐れるな、私はあなたとともにいる。私はあなたを助けよう。」 神は同じ言葉を私達に言っておられるのです。
福音書の中でイエスも彼自身の友人とナザレの親族に拒絶されています。イエスは人間でもあったので、彼もこの傷ついた感情を持っていました。
しかしイエスは神でもあり、われわれはその神に祈ります。イエスは、「恐れるな、あなたが苦しんでいる時に、わたしはあなたと共にいる。」と言っています。私達が寂しさ、心の痛み、疎外感を感じた時に、私達はイエスも同じ苦しみを持ったのだと、信頼してイエスに頼ることができます。イエスはわかってくださるのです。
なぜナザレの人々はイエスを拒絶したのでしょうか。彼らは、たかが大工の息子であるイエスがかれらの指導者になることを受け入れられなかったのです。さらにイエスの、神は誰でもわけへだてなく人間を愛してくださる、という教えを、受け入れられなかったのです。(ナザレの人々自身が、ユダヤ教では、外国人として差別されていたのにもかかわらず、です。)彼らの視野はとても狭く、内にこもったものでした。
第二朗読においてパウロはイエスが語っていた愛とはどういうものなのか説明しています。「愛」という言葉は乱用されすぎていて、いまやその深い意味を失ってしまいました。私達の人々への愛とはどういったものでしょうか。その愛は、(イエスを見捨てたナザレの人々のように)狭く、内にこもったものなのでしょうか。自己中心的で引きこもったものなのでしょうか?
この聖パウロの言葉をもう一度ゆっくり読み、自分の良心を確かめてみましょう。他人への愛を広げましょう。
神は私達一人ひとりを愛してくださいます。その温かさを隣人と分かち合いましょう。