2007年2月4日 年間第5主日(C年)

聖書の大部分がそうであるように、今日朗読された聖書にも二層構造の意味があります。表層の意味では、歴史的な出来事の叙述にすぎませんが、深層の意味は現代に生きる私達に直接かかわるものがあります。どうかルカ5:1−11をもう一度読んでみてください。
神は、漁網を洗っている(乏しい漁獲を悲しみながら、あきらめている)現代の私達に直接働きかけてくださいます。神は不思議なやりかたで私達に働きかけ、その目的は私達の人間として、キリスト教徒としての成長、我々自身のためになっています。
あなたはかつて(あるいは現在)気持ちが深刻に落ち込んでいたことがありますか?妻として夫として、親として友人として、職場で学校で、(わたしにとっては神父として)、そのような苦境があったでしょうか?このような困難の淵に沈んだ時こそイエスは私達に呼びかけてくださるのです。
「沖に漕ぎ出し、網を投げよ。」と。これはすなわち、「勇気を出して新しい一歩を踏み出しなさい。新しいスタートを切るのです。」ということなのです。
イエスから与えられるこのチャレンジ(挑戦すべき課題)は、友人の口から届けられるかもしれませんし、経験から発するかもしれませんし、あるいは本やテレビから来るかもしれません。この「漕ぎ出でよ。(すなわち、再出発せよ。)」というチャレンジは、失敗、拒絶、病気あるいは愛するものの喪失など救いようのない絶望の中でやってくるものなのでしょう。この神からのチャレンジは、さまざまな人々に、さまざまな形で、しかし確かに与えられます。この神からのメッセージに耳を澄ましていましょう。
チャレンジにどう応じていこうかと考えると、私達の足はすくんでしまいます。えてして私達は言い訳をしてしまいます。「私は一晩中漁をしていましたが、何も獲れませんでした。」あるいは「神様、私を放っておいてください。私は罪びとです。」というものは、まさにこれにあたります。 
再出発の極めて重要な第一歩を踏み出すには、人間の持つ勇気などはとてもちっぽけなものです。その一方、神からのチャレンジを無視する言い訳づくりには、人間はとてもたけているものです。逃げることは、私達は得意なのです。
しかし私達が祈りの中で我々自身を鎮め、落ち着いて神の声に耳を澄ませば、生きている声として聞こえてくるものがあります。「恐れるな、私はあなたと共にいる。共に、沖へ漕ぎ出よう!」 この時です、私達が再び私達の人生を始めることができるのは。暗闇に苦しむ家族・友人に光を与える、この聖書の箇所がいう「漁師」になれるのです。
「沖へ漕ぎ出で、網を投げよ。恐れるな、私はあなたと共にいる。」