2007年3月11日 四旬節第3主日(C年)

あなたの日常の暮らしに、特別な味わいを持たせたいと思いませんか?

もしそうなら、ちょっとだけ神様のために時間をさき、お祈りしてみましょう。しかしその前に、その神様とは何なのでしょうか?

今日の第一朗読(出エジプト:3:1-15)を読むと神がどのようなものであるか、おぼろげにわかります。モーセと同様に、神は私たちに対しても、触れ合いたいと望まれています。神は私たち一人ひとりを個人名でお呼びになります(イザヤ43:1)。神はエジプトで捕らわれていた人々の嘆きの声を聞き入れたように、私たちの助けを求める声を聞いてくださいます。まったく、「神は慈愛に満ち、怒るに遅く、慈しみ深い」(詩篇103)のです。神は私たちを、暖かく、愛に満ちた関係へといざないます。ただ、その関係は尊敬によって調和がとれているもので、比喩的にはモーゼが靴を脱いだように、私たちもそのような態度をとるのです。聖書に基づいた正しい神のイメージを持つことによって、私たちは日々の生活と祈りをより味わい深いものにすることができます。イエスは「愛に満ち溢れた神」の自画像です。私たちはイエスを見ることにより神に出会えます。

福音において、イエスは「人々を罰する神」という教えに激しく反対します。神はそのようにお働きになりません。しかし迷信はしばしば知らぬ間に広がり、私たちはそのように考えがちです。ガリラヤ人と塔の下で倒れた人々は、罪深いからといって死ぬことはありませんでした。神は罪びとを愛し、彼らが再スタートを切れるよう、招きます。

三年も実をつけなかったイチジクの木を、持ち主は「切り倒してしまえ。」と言いました。庭師は「いえ、もう一年待ちましょう。わたしが特別にこの木を世話します。」と言いました。このたとえ話の意味は、「今、新しいスタートを切りましょう。延期はできません、なぜならば私たちの時間は限られているからです。」ということです。

真剣に祈りをするのに私たちの時間は限られています。 今すぐ、始めましょう!

誰かを許すのに私たちの時間は限られています。 今すぐ、始めましょう!

良い親(あるいは子供)になるには私たちの時間は限られています。 今すぐ、始めましょう!

人に優しく、思慮深く振舞うには、私たちの時間は限られています。 今日から始めましょう!

最後に、これらを行うにあたり、神の力の助けが絶対に必要なことを忘れてはなりません。お祈りをし、神の助けを求めましょう。自己流で行う再スタートはうまくいきません。