2007年3月18日 四旬節第4主日(C年)

「神は愛である」私達がしばしば耳にする一節です。しかしこの真実を実際に心の奥底まで染み通らせましょう。今日、イエスは有名な「放蕩息子のたとえ話」をされました。実際のところ、この話は、極めて寛大・寛容な父親の話であります。私たちはこの話をすでに知ってはいますが、今週は、神はあるがままの私達を愛してくださるというメッセージをもう一度熟考してみましょう。

この話には三人の登場人物が出てきます。

  1. 次男:彼の放蕩よりも、父親の包容力・無条件の愛が勝っていたということに注目しましょう。
  2. 長男:彼は冷淡で非寛容で、父親に愛されて当然と考えていました。この点において彼も父親を侮辱していたのです。
  3. 父親:この二人の息子の父親は、息子二人とも愛していました。

次男は父親を侮辱し家を飛び出し、家出の際に与えられたお金を浪費してしまいました。これにもかかわらず、彼の父親は家から出て道の向こうから次男が帰ってきるのを見つめて待っていました。そして次男を見つけると走り出て彼を抱擁したのです、「我が家へおかえり!」と言って。

父親のこのような寛大さに長男は憤慨してしまいました。次男には許しよりも、まず罰が与えられるべきだと考えていたからです。憤慨した長男は父親が待つ家に入ろうともしませんでした。しかし、この愛情深い父親は長男に会うために家から出てきたのです。

ある日本人は私に、「実際、この世のどんな父親だって、こんなに寛容な人はいませんよ。」と言いました。それは、そうです。

しかし私達の父である神は、私達一人ひとりに対して、こんなにも優しく、あわれみ深く接してくださるのです。

今週、静かな時間を少なくとも5分は持ち、「神の抱擁」を感じてみましょう。神は私達のあるがままを受け入れてくださいます。

私達は神の愛に包まれているのです。

この深遠な事実を体感することで、私達の日常の暮らしは、すばらしく味わいのあるものになっていくのです。