2007年3月25日 四旬節第5主日(C年)

四旬節第三、第四、そして第五主日の福音にはとても特別なメッセージがこめられています。これら3つの福音に共通していることは、あるがままの私達を神が愛してくださるという、根本的な真実であり、私達の心を解放してくれるものです。神は私達がいかに弱いことをよく知っておられ、それゆえ非常に忍耐強く私達に接してくださいます。

この3つの福音は、(1)実りの無いイチジクの木のたとえ話(「どうか切り倒さないでください、わたしが心をこめて世話をしていきますから」と庭師は頼みました)、(2)放蕩息子の帰還を待ち続け、外へ駆け出して出迎えた極めて愛情深い父親のたとえ話、そして本日の(3)イエスがこれらの教えを実行でしめした出来事です。不貞罪を犯した女性に、冷酷で非寛容なファリサイ人達は「石打の刑だ」と決めつけてしまいました。しかしイエスが「罪を犯したことの無い人が最初の石を投げよ」と言ったところ、集まった群衆は徐々にいなくなってしまいました。

私は個人的に、「Good News Bible」という本の挿絵(スイス人画家:アニー・バロトン作)が気に入っています。今日の福音の部分では、イエスが考え事をしながら地面にとりとめもなく落書きをしている様子が、極めて人間的に描かれています。次の絵はイエスが、この気の毒な女性を正面から見つめている絵です。イエスは、(同じように)木に登ってイエスを見ようとしたザアカイの顔もみつめました。そして、イエスの、(ザアカイの苦労・問題を瞬時に理解した)優しい顔が、ザアカイのその後の人生を変えたのです。同じように、イエスは三度もイエスを否定したペトロの顔を優しく見ました。そのイエスの同情的な顔は、その後のペテロの人生を、絶望から希望へと変えたのです。同じイエスの温顔が、今日の福音の女性の人生を変えたのです。

このイエスの優しい顔、というのは、単に2,000年前の出来事ではありません。この現在もイエスは、同じ優しい同情にあふれる顔を、あなたや私に向けてくださっているのです。ですから私達は「この優しさと憐れみの冠に、私達を自信を持って近づかせてください」(ヘブライ人への手紙)と祈るのです。このような意味をふまえ、一緒に祈りましょう。

”あなたにむかって、わたしの心は言います、「主よ、わたしはみ顔をたずね求めます。み顔をわたしに隠さないでください。」”(詩編:28−8)