2007年5月13日 復活節第6主日(C年)

堅信①講話要旨  「イエス様は私の主である」

”イエスは私の主である。”これは初代教会の最初の信仰宣言で、今も私たちの信仰の一番根本的なものです。.その意味はさきに聖書を通して読むことにより、イエスをだんだんと知ることです。イエスを知ることとイエスと出会うことは同じ意味です。
そのようにイエスと親しくなっていき、したがって私はこのイエスと一緒に自分の人生を歩みたいときめます。そしてイエスに向かって私はあなたの弟子です。,(イエスは私の主であるといった意味と同じ意味です。)
もちろん、すべてを捨てて社会から逃げるという意味ではありません。本当の意味は私達の毎日の家庭生活の中に、家・学校・職場でもそのイエスの道をいれ ることです。堅信を受ける準備としてイエスともっともっと親しくなりましょう。”イエスは私の主である”という簡単な信仰宣言を良くあじわいましょう。
私達は自分の牲格によって、自分のイエスのイメージを描かなければなりません。もちろん、描くためのの材料は聖書です。私(ケンズ神父)の好きな箇所はこれです。

 

①ザアカイ(ルカ19:1-10)
イエスに出会いたい気持ちがありました。
②ナインのやもめ(ルカ7:11-17)
イエス様は悲しみに沈んだお母さんとの共感です。
③ペトロは湖に沈みかけたのを見て、イエスが助けの手を伸ばします。.(マタイ14:22-33)
イエスは薄い信仰のペトロをありのままにうけいれて下さいます。
④イエスはゲッセマネで祈る。(マルコ14:32-_52)
⑤イエスはマリアという名前をお呼びになります。(ヨハネ20:11-18)
⑥疲れたもの重荷をおったもの、私のもとにきなさい。休ませてあげよう。親しい話し合いのやさしいお招きです。(マタイ11:28)


聖書のイエスの心と今のイエスの心はまったく、同じです。
皆さん、自分の性格によって自分のイエスを描きましょう.そのイエスに心を開いて、すべてをゆだねその道を歩みましょう。