2007年6月10日 キリストの聖体(C年)

堅信⑤講話要旨 「聖体拝領と祈りについて」

東海道線国府駅~鴨宮駅間の精米所の壁の上の大きな看板に[米は力だ]と書いてあります。 お米は日本人の主食でこの食べ物を通して体の栄養と力と元気を項いています。

2000年前のイエス様の国ではパンが主食でした。同じ考えで「パンは力だ」と考えられていました。 この背景の中でイエス様はご聖体の秘跡のためにパンをお選びになりr最後の晩餐で」と言うのは

最初のごミサでパンをとり「これは私の体です。」と仰せになりました。

これは私自身ですと言う意味です。

 

現代のごミサの中でただのパンは聖変化の後神様の力のお陰でイエス様自身になられます。 このご聖体は私遠の人生の旅路の中で心の栄養になって霊的な力を与えてくださいます。

実は信仰の元気さのためご聖体は絶対に必要です。

私達はご聖体の申におられるイエス様を頂<ことで深い一致・親しい交わり・暖かい眼差しを 経験します・イエス様は人生の旅路の親しい同伴者となって素晴らしい支えになられます。

ご聖体を頂いた後の時間をよく使いイエス楳のみ前に自分の心の凡てをさらけ出し親しく話し 合いましよう。これは祈りです。

16世紀の折りの博士アビラの聚テレジアは次の様に奔きました。rイエスは―人々々に対して 深く暖かい友情を持っています。ですから友達同志の遠慮のない話し合いは祈りになります。」 折りの時イエス様のお望みは私の無防備な心ありのままの心です。逆にさまたげは自分のこころを 折りの前に着飾ることある時はイエス様に対する丁寧すぎる態度です。

イエス様は私達一人々々に今日生きている声で聖書を通して仰せられます。

私は貴方を友と呼ぷ 私にとどまりなさい。」 ヨハネ・15章

イエス様の祈りへの招きは次のようです。

「疲れた者・重荷を負う者はだれでも私の許にきなさい休ませてあげよう。」マタイ・11章

皆さん繰り返し申しますがご聖体を頂いた後は特別の祈りの時間を上手に使いましょう。

 

教会の習慣の中にご聖体訪問があります。ごミサ以外に聖堂に入りせいひつの中のイエス様と一緒 に過ごす習慣です。(赤いランプはイエス様がいらっしやるしるしです。)
友達イェス様への挨拶・相談・友情を味わう時間です。

勿論私達は聖体拝領・聖体訪問・以外でもイエス様と親しく話し合うことが出来ます。
例えば自分の家で静かな一時をつくる・電車の中で・散歩の中で・仕事の中で‥‥この親しい 話し合いの折りの材料は今自分の心の中のことです。 喜び・悩み・苦しみ・いつもありのまま 友達イエス様と話し合いましょう。

最後に聖体拝領の大切な点

私達共同体のみんなは同じイエス様を分かち合いますから深い一致があります。 その一致の源はイエス様ご白身です。聖パウロは次のように書きました。

「私達が裂くパンはキリストの体に与かる事です。パンは一つだから私達は大勢でもーつの体です。 皆が一つのパンを分けて食べるからです。」1コリント・1Q,章 17

その一致は日本の諺のように“同じ釜の飯を食う”ことです。
そのため私達が最後の晩餐のイエス様の心を持つことが大事だと思います。いわゆる(洗足)の こころなのです。

私達もイエス様と一緒に言いましょう。『私は仕えられるためではなく・仕えるために来た』
本当にご聖体を頂く私達は恵まれた者です。 “イエスの食卓に招かれた者は幸い”

堅信の準備のために次の個所を調べて祈りましょう。

  1. ヨハネ・15章 1~17
  2. ヨハネ・13章 1~15
  3. マタイ・11章 25~30