2007年6月24日 洗礼者聖ヨハネの誕生(C年)

保土ヶ谷教会の皆さん、おはようございます。保土ヶ谷教会に来るのは3年ぶりです。今日は堅信式がありますが、今回保土ヶ谷教会で堅信を受けられる方は48人とのことで驚きましたが、喜ばしく思います。

さて、今日の福音(ルカ1・57-66)では洗者ヨハネの母、エリザベトが出てきます。このエリザベトの夫、ザカリアの前に大天使ガブリエルが出現し、神のご意思のもとにヨハネが生まれてくることを告げると、ザカリアは「どういうことで私はそれを知ることができましょうか?」と反駁しました。一方イエスの母マリアは、同じように天使よりイエスの降誕を告げられた時、「私は主のはしためです。あなたのみことば通りとなりますように。」と答え、神への絶対的な信頼を示されました。ザカリアが主のご計画の成就について証拠を求めたのに対して、マリアはそのご計画について「私は何ができるのでしょうか。」と尋ねたのです。いわばザカリアは神に対して、やや傍観者的であったの対して、マリアは完全に神を信じ自分のこととしてかかわっていくことを示されたのです。

このマリアの信仰は、私達、とりわけ今日堅信を受けられる方々にとって良いお手本となると思います。洗礼・堅信という大きな恵みをいただいて、「それで実際、どのようになっていくのですか?」と疑問に思うよりも、マリアが示された信仰をお手本に、その恵みを戴いて私達が何ができるかということを考えたいと思います。

カトリックの信者になることで、イエスの教えについてカトリック教会が2,000年かけて形成してきた体系的な理解のしかたを得ることができます。しかし、これと等しく重要で、また簡単にすぐ行えることとして、イエスが自ら行い示した隣人への愛の実行があります。私達はイエスが望まれているように十分な愛を隣人に示しているでしょうか。

ところで聖母マリアは、「恵み溢れる聖マリア(Ave Maria, gratia plena)」と私達が祈るように、イエスを宿すという神からの恵みが満ちみてる方でした。しかし実際の人生では、普通の子とは異なるイエスに戸惑い、そしてそのわが子を十字架に磔にされて失うことになります。それでも、聖マリアは最も神の恩寵に満ち溢れた女性なのです。

ところで、話は飛びますが私はよく10円玉の話をします。あちこちで話しているので皆さんの中にも聞いたことがある方もいるかもしれません。ある養護学校での話ですが、子供たちの中には家庭の事情などで普段は親元を離れ寄宿している子供たちもいます。社会で生きて行くためにある日先生が子供たちに、お金の使い方を教えました。一通り教えた後で「一番価値がある硬貨はどれですか?」と聞いたところ、ある女の子が「10円です。」と答えたそうです。普段から理解力のあるその子がわからないようではほかの子供もわかっていないだろうともう一度説明して再度その女の子に尋ねるとまた、「10円です。」 不思議に思った先生が、「どうして?」と聞いてみるとその子はこう答えたそうです。「その10円玉で、お母さんと話せるからです。」 その女の子も寄宿していて、母親ともたまにしか会えないのですが、毎日一日の終わりに公衆電話でお母さんと話すのを楽しみにしていたそうです。私達は500円、100円、50円、10円、5円、1円と、一面的な価値基準だけでものごとを序列づけ、判断してはいないでしょうか。私達にも、実は、100円よりも、100万円よりも、1億円よりも貴重な、10円玉があるのではないでしょうか。

イエスが示された愛の教えを実践するには、神様の助け、恵みが必要です。今日の堅信式にあたっては、このような恵みを今いただけると自覚し、イエスの示された道を歩む糧といたしましょう。