2007年7月15日 年間第15主日(C年) [宮内神学生]

この拙文を読んでいただく前に、有名な「良きサマリア人」と呼ばれるイエスのたとえ話 (ルカ10:25−37)を、新たな気持ちで読んでいただきたいと思います。

4年前、医療福祉の方々のために私は「キリスト教」という広いタイトルの講座を持っておりました。講座終了試験の中で、「現代の日本の中で、良きサマリア人のたとえ話はどのような意味をもつのでしょうか」という問いがありました。その中での、ある回答をご紹介したいと思います。皆さんそれぞれ、ご自身の回答はどのようなものとなるのでしょうか。イエスは私達一人ひとりに「行って私と同じように(愛の行為を)行いなさい」と言っておられます。なんという挑戦でありましょう。では、その学生さんの回答を見てみましょう。

【 高校の頃、私は厚い眼鏡をかけていて、緊張するとひどくどもってしまいました。『出る杭は打たれる』の諺どおり、私はイジメにあってしまいました。
ある日、私が答えを間違えると、数学の教師は私のどもりを真似して私をクラスの笑い者にしました。昼休みに入っても、級友たちはその真似を続けました。
私は野球場の隅のベンチに一人座り、死にたい気持ちでした。

担任の先生は私やイジメには無関心で、級長も忙しくて構ってられない振りをしていました。私は絶望的に孤独で、ひどく傷ついていました。

しかし在日3世の在日朝鮮人の級友がやってきて静かに私の傍らに座りました。彼は5分も何も言わずにそばに居続け、そして口を開きました。
「どんな気持ちか、僕はわかるよ。でも、頑張って。君は立派だし、良い人だと思うよ。つらいけれど、僕達はこんなことで、他の人のつらさもわかってあげられるようになると思う。」

その在日の級友は私の心の傷を癒してくれただけではありません。私が高齢者、虐待児童、心身障害者の方々を支援する医療福祉の道を選んだのも、結局彼がその選択の種をまいたことになるのです。】