2007年7月29日 年間第17主日(C年)

時として、私は祈りたくても、うまくいかないことがあります。そんな時私は、
人間である自分の努力だけで祈りができると思っていた誤りに気がつくのです。
神に祈ることさえ、私は神の助けが必要なのです。そこで私は、今日の福音に出て
くる言葉、「イエスよ、私にも祈りを教えてください。」という言葉を使います。
イエスの弟子が同じ言葉を発した時、イエスは私達が「主の祈り」と呼ぶ祈りをお
教えになりました。この中で最も大切な言葉は、最初の「我らの父よ」と呼びかける
言葉です。この言葉こそが、キリスト教徒にとって祈りとは何かを示しているので
す。この言葉は、真に愛されている子供と、その子をありのままに受け入れる父親と
の間にある優しく暖かい関係を示しています。イエス自身は神に祈るときに、同様
に、小さな子供が使う言葉「アッバ(おとうちゃん)」という言葉を使いました。こ
れは完全な愛と信頼を意味しています。
イエスは我々に神に対しては子供のように信頼を持って神に願い事をしなさいと言っ
ています。「求めよ、されば与えられん。」 神は私達が真に幸せになってほしいと
のみ願っています。神は我々の不幸を全く望んでいません。(これは、今日のたとえ
話のように、父親が子供に蛇やさそりを与えないことと一緒です。)
今日の第一朗読で、神の友人でもあったアブラハムが、神に対して「あえて」お願
いするところが出ています。その言葉「あえて」は重要です。我々も、「あえて」天
にまします私達の主に、子供のように願い出ましょう。イエスは重要な何かを教えて
くれています。私達は天の神に、自信を持って恐れなく、子供のように願い出ること
ができるのです。私達も、ゲッセマネの園でのイエスのように「この願いをあなたに
ゆだねます。」と私達の願いをしましょう。
私自身としては次の2種類のお願いがあると思っています。
第一の願いは、とりあえずすぐに必要なもの、健康、試験、問題解決等などです。
第二の願いは、心の底からのもの、自分自身の内面から湧き上がる憧れです。この憧
れが私の祈りとなっています。主よ、私達に祈りをお教えください。