2007年8月5日 年間第18主日(C年)

皆さんは昔「ブッシュマン」という映画があったのを覚えていらっしゃいますか?その映画はアフリカのカラハリ砂漠に住む遊牧民の家族が主人公の映画でした。そのシリーズ3作目で、カラハリ遊牧民がサルを捕獲する巧妙なワナが出てきました。ブッシュマンは穴のあいた箱のようなものをつくり、その穴は丁度サルが手を突っ込むことができるギリギリの大きさにしておいたのです。そして箱の中にはおいしそうな香りがたつ、サルの大好物の木の実を入れておいたのです。サルはその匂いをかぎつけ、手を入れて木の実を取ろうとします。しかし手のひらを握りしめたままでは穴から手を出すことができません。ここでサルは選択をせまられます。1)大好きな木の実をあきらめ、自由の身になるか、2)木の実をあきらめず、箱に捕らわれたままでいるか。多くのサルは後者の選択だったのです。これは私達にとって示唆深いことです。
私達も物質的な物ごとの捕らわれ人となっていないでしょうか。暮らしをうまくやっていくことばかりに重きがおかれて、神と祈りについておろそかになっていないでしょうか。
物質的な物ごとそのものが悪いということではありません。しかし時として私達はそれにそっくり飲み込まれてしまい、神と祈りを忘れてしまいます。ヘンリー・ノーウェンという方が「両手を広げて」という美しい祈りの本を書いています。両手を広げて物質的な物事を解き放してしまいましょう、そして神があなたに愛を与えられるようにしましょう。
聖アウグスチヌスは5世紀に著書「告白」において次のように書いています。
「わが主よ、あなたは私をあなたのためにお作りになりました。私の心はあなたのところでしか憩うことができません。」