2007年9月30日 年間第26主日(C年)

今日の福音に関して、現代風のたとえ話です。
ある猛暑の日、エアコンがよくきいた社用車で、ある会社の社長さんが自分のオフィスに到着しました。オフィスは広く現代的で、天井まで届くガラス窓の向こうには、庭木や草花が芝生に映える美しい庭が続いています。室内は23度に冷房されており、彼はスーツとネクタイできちんとしています。一方、外は32度の猛暑の日です。
10時になり、庭を眺めながらお茶を飲んでいると、日雇いの草刈りが見えました。良く働くようなら4、5日雇ってみようと、今日のところはお試しで呼んでみた日雇いでした。しかし社長さんが見る限り、日雇いは雑草取りをものすごくゆっくりやっているように見えます。社長さんは独り言をいいました。「こいつら日雇いの連中ときたら、いつもこれだ。グズでいい加減で、頼りにならない。」
3時になり、社長さんは再び外の庭の様子を見てみました。日雇いの仕事の様子は朝と同じか、もしくはさらにのんびりとしていました。いい加減カッときた社長さんは日雇いを叱ろうと、庭へ通じるドアをあけて外へ飛び出しました。一歩出たとたん、空調のきいた23度の世界から、蒸し暑い32度の世界に入った社長さんは、窯の中に飛び込んだようなショックを受けました。とたんに汗が吹き出し、力が萎えていくのがわかります。実際に外に出てみるまで、日雇いがどのような状況で働いていたか、全くわかっていなかったのです。外に出てみてはじめて、日雇いの状況と気持ちを彼は理解できたのです。
さて私たちは、ホームレスであること、日雇いであること、悲しく孤独であること、希望を失っていること、貧困にあえぐこと、などが実際にどのようなものであるか、わかっているでしょうか。私たち他人の状況や気持ちを思いやろうと努力するよりも、むしろ、利己主義的な居心地の良い自分の世界に安住しているのではないでしょうか?  今日の福音(ルカ16:19−31)にでてくるラザロが、私たち一人一人の家の戸口の外にもたたずんでいるいるのが見えるはずです。他者の気持ちをわかるということは、優しくなれることの第一歩です。「あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。」(マタイ5:7)