2007年10月21日 年間第29主日(C年)

みなさんの周りに、病気で寝込んでいたり痛みに苦しんでいたりする人はいらっしゃいますか? もしそのような人がいたらその人たちのために祈っていますか? 結婚生活
で問題をかかえている人はいませんか? 学校でいじめにあっている子供、不幸な境遇の子供やお孫さんはいませんか? キリスト教をあきらめてしまった人はいませんか?
そのような人たちのために、あなたはお祈りをしていますか?

自分のためでなく、人のために行う祈りは「とりなしの祈り」と言われており、今日の第一朗読(出エジプト17:8−13)に出てくるモーゼがその例です。また、今日の
福音(ルカ18:1−8)ではイエスは「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」ことを教えています。

もうひとつ、とりなしの祈りの例をご紹介しましょう。
354年の11月3日、アルジェリアでパトリシオとモニカの間に男の子が生まれました。彼らはその子にアウグスティヌスと名づけました。モニカは非常に熱心なキリスト
教徒でした。パトリシオとモニカはアウグスティヌスに良い教育を受けさせるために、多大な犠牲を払いました。そのおかげでアウグスティヌスは大学へ進むことができ、学
者への道が開けました。しかしモニカにとって残念なことに、倫理面ではアウグスティヌスは問題だらけでした。アウグスティヌスは博打好きで、愛人に息子を産ませ、モニ
カが信じるキリスト教を拒否し、それどころか反キリストのマニ教に走りました。そんな中にあって、モニカは熱意をもって、神にアウグスティヌスのことについて祈り続け
ました。29歳の時にアウグスティヌスは出世のためにアルジェリアを去り、ローマへ向かいました。経済的な理由により、彼はさらにミラノに移り、そこの大学で弁論術を
教えました。モニカは彼のために祈り続けています。当時、ミラノ総主教であったアンブローズ司教は説教が非常に上手であることで有名でした。弁論術の参考にしようと、
アウグスティヌスは説教だけを聴きに行こうと、アンブローズ司教のミサに行き始めました。しかし説教の弁論スタイルだけでなく、彼は司教の伝えようとしている本質にも
関心を寄せるようになりました。アウグスティヌスは再びキリストに引き寄せられたのです。387年の復活祭の夜、息子アデオダトゥスとともに、アウグスティヌスは洗礼
を受けたのです。モニカが息子がクリスチャンになりますようにと祈り始めてから20年がたっていました。
これは私たちにとって、一つの良い例です。
後年、アウグスティヌスはこのように書いています。
「神よ、あなたは私達をあなたのためにお創りになりました。それゆえ、あなたの中で休むことができなければ、私達の心は休まることができません。」
母モニカの祈りによって、いま私たちは彼女の息子を「聖アウグスティヌス」と呼ぶことができるのです。