2007年10月28日 年間第30主日(C年)

あなたのお祈りは、タテマエにすぎなかったり、うやうやし過ぎたりしていませんか? もしそうなら、そのお祈りは口先だけのもので、心からのものではありません!

神が欲している祈りは、着飾らない、本当の自分自身からの祈りである、と今日の聖書では言っています。本当の自分自身からの祈りを実践するためには、私たち人間がいか に意志薄弱で、弱く、そして罪深いかということを認識する必要があります。(今日の聖書で触れている「罪深い」という意味は、具体的に罪を犯すというよりは、私たちが 神の愛に答えなかったり、聖書で言っているように、私たちの信仰が「的外れ」であったりすることです。)

今日の福音では、神殿に祈祷に訪れた二人の例が示されています。ひとりは非常に敬虔な男でした。彼は(これが彼が「祈り」と思っている行為でしたが)神に次のように祈 りました:「わたしはいつも長い祈りを捧げ、戒律の全てを守り、十分の一税を教会に払っています。」彼は、彼が行なったすべての「善いこと」を神に報告していますが、 実際には彼は自分自身を他人と比べ、他人と彼らの犯した「悪いこと」を裁いていたのでした。彼の「祈り」の本質は、「神よ、私はあなたのお誉めにに値します」というも のでした。この「祈り」のなかで、かれは他人を裁き、見下していました。この「祈り」はうわべだけの祈りであり、彼のエゴだけがでたもので、心が欠けています。

イエスはむしろ二人目の男を誉めました。この男は自らの意志薄弱さ、弱さ(つまり今日の聖書でいうところの罪深さ)を認めました。この男は、簡単で短い祈りを捧げまし たが、これは私たちも使うことができる珠玉の祈りです。
「おお神よ、罪深い私をあわれんでください。」

私たちは、人間的な弱さがあることを認めますが、同時に、神がありのままの私たちを受け入れてくださるということを強く信じています。この神のあわれみは、とても寛大 に私たちがいただけるものなのです。

さあ、今あなた自身の心の中では、どのような思いがはしっていますか? それこそが、祈りの原材料となるものです。それが、神が求める祈り、着飾らない心での本当の祈 りなのです。