2007年11月4日 年間第31主日(C年)

聖ルカは芸術家でした!すばらしい言葉の表現力で、聖ルカはイエスとザアカイの出会いをいきいきと描いています。これは単に2000年前の出来事の光景ではありません。イエスは今現在生きておられ、ザアカイは私たちなのです。
私たちは人間であるがゆえに、誰でも「より良きもの」へのあこがれを持っています。そのようなあこがれを私たちは普段は抑圧できているかもしれませんが、疲れたり、ストレスを感じたり、苦しんだり、あるいは傷ついた時には、強くわきあがってくるのです。 忙しくしていることは、このあこがれを抑圧する手段ではあります。しかし、神のみがこの私たちの心のあこがれを完全に満たしてくれるのです。
ザアカイはお金持ちでしたが、心の中では満たされない思い、そして同じようなあこがれを持っていました。ザアカイはイエスの話を聞こうと出かけましたが、イエスに近づくことができず、また背も低かったのでイエスを見ることもできませんでした。
彼は自分の社会的な立場を忘れて、小さな男の子のように木に登り、イエスを見ました。そうするには勇気が必要でしたが、それだけザアカイの「より良きもの」へのあこがれは強かったのです。
イエスはザアカイが登っている木の下を通った時に、ザアカイ(そして私たち一人一人)を見ました。そして「友達になりましょう。」とおっしゃったのです。この友情はザアカイとその家族に大きな安らぎをもたらしました。これは、現代の私たち一人一人にあてはまるのです。私たちは、ザアカイのように、木に登る準備はできているでしょうか?
一人静かに、私たちが持つ、「あこがれ」について感じてみましょう。祈りの形をとるのかもしれません。(私はこの祈りの形が好きです。それは、より親しみ深くイエスと出会いたいからです。)
あこがれは、祈りの第一歩、とても大事なステップです。
試してみませんか? 詩篇42章、「あこがれの詩篇」です。

谷川の水を求めて、あえぎさまよう鹿のように
神よ私はあなたを慕う。
私の心はあなたを求め、神の命をあこがれる。
私が行って、み前にいたり、み顔を仰げる日はいつか。