2007年11月11日 年間第32主日(C年)

この5週間、主日の朗読箇所を用いて「祈り」について説明してまいりました。しかし、「どのように祈るか」よりもさらに重要なことは、「誰」に対して祈るか、ということです。それは勿論、神様なのですが、その神様を掟と罰を与える神とイメージしてしまうと私たちの祈りは堅苦しく冷たいものになってしまいます。また、もし神様を、「誰か天上の高い所にいる方」とぼんやりと想起してしまうと、私たちの祈りもぼやけた味気ないものとなってしまいます。私たちはイエスの中に真の神を見出します。イエスの人情味のある優しさや憐み深さは、私たちの真の神の心そのものです。
イエスは私たち一人ひとりと固く約束してくださいました。
「わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを守る。」
イエスはこの約束を決して、−たとえ私たちのほうが忘れても−、絶対に破ることはありません。今日の朗読(二テサロニケ2・16−3・5)において、「主は真実な方です。(言い換えれば、“主は約束を守ります。”) 必ずあなた方を強め、悪いものから守ってくださいます。」とあります。そしてイエスは、私たち一人ひとりに言っています。「あなたは私の友人である。」と。
時として祈りが、空っぽのバケツに向かって喋っているようなもの、と感じられることがあるかもしれませんが、決してそうではありません。私たちの神様は私たち一人ひとりを名前でよび、私たち一人ひとりは神様の目から見て皆とても大事であり、愛してくださっているのです。(イザヤ43章)
私たちの祈りに対して、神様は常に敏感な耳を向けてくださいます。そして神様は私たちが「みこころが天に行われるとおり地にも行われますように」と祈ることを希望しているのです。神様は私たちにとってよいものだけをお与えになります。
わたくしが若かったころ、私はある試験に通るようにと非常に熱心に祈りました。そして落ちてしまいました。わたしはしばらく神様に幻滅してしまい、人生において異なる道のりを歩むことになりました。今、わたくしは結局当初望んでいた道よりもはるかに良い道を歩んでいることを実感します。今になって私は神様にあの試験に受からなかったことを感謝するのです。
神様の本質は優しく愛情深く、人間のはかなさ・弱さをよくわかっていてくださいます。福音によって神様は、今、私たちの間に生きている神であると知ることができます。
生きている声で、今神様は私たち一人ひとりに語りかけているのです。
「疲れたもの、重荷を担ってあえぐものは、私のところに来なさい。休ませてあげよう。私はあなたの名前を呼ぶ。あなたは私の、大切な人。私が愛する者。」
神様はまことに人間の同伴者であることを好みます。
私たちも是非祈りを通して、神がともに歩んでくださる幸せを味わいましょう。