2007年11月25日 年間第34主日(C年)

「御子は、見えない神のすがたであります。」(コロサイ1・15)という今日の聖書の一節は、私たちキリスト教徒にとってはとても重要です。私たちは神を見ることはできません。神は目に見えないものなのです。神とはどのようなものでしょう?神は私たちに対してどのような態度をとっているのでしょう?これらの問いはとても重要なものです。

私たちは神ご自身が御子として人間になられたと信じています。それがイエスでした。ですから、私たち人間がイエスの人間としての心を見たときに、私たちは真の神をみるのです。神の私たち人間への態度もわかります。聖書の出来事は永遠の現在形で描かれているということを思い出しながら、いくつかの例を見てみましょう。
神であるイエスは2,000年前そうであったと同じように、今も私たちに対して優しい態度を示してくださいます。

今日の福音では イエスは十字架上で非常に苦しんでいました。そのような耐え難い苦痛の中で、イエスは悔い改めた盗人に対して優しく、励ましの言葉を与えています。「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」とイエスは言っています。
イエスは木の枝の上にいたザアカイにも同じように優しいまなざしを向けました。「一緒に食事をしよう。」とさそっています。空しく無益な暮らしだったザアカイに対してイエスは新しい希望と平和を与えています。
またイエスは、一人息子を失ったナインの母親が流す悲嘆の涙を見ました。イエスは彼女と同じように、そして彼女のために悲しみました。イエスはまさに憐み深く、そのやもめの母親のためにイエスも苦しんだのです。

イエスは、らい病患者の表面的な悲しみだけでなく、内なる寂しさにも目を向けています。彼は皆とともに感じています。それがあわれみなのです。イエスは彼自身を否定したペテロにたいしても憐み深いまなざしを向けています。イエスは人間の弱さを理解しています。このような例は枚挙にいとまがありません。

これが私たちの神です。この神は今現在も生きています。私たち自身も聖書に登場してくる人達なのです。これが私たちの神であり主であるのです。
「御子は、見えない神のすがたであります。」
この一節は私にとってもっとも慰め深い教えであり、私の信仰の基礎となっています。