2007年12月2日 待降節第1主日(A年)

今日から私たちはイエスの誕生日を迎えるための心の準備期間に入ります。あなたは人生についてどのようなイメージを持っていますか?暗く、否定的で、悲観的ですか?それとも、暖かさと光にあふれた面白い旅でしょうか? 「暗い」と答えた方は、人生とは単なる四季のうつろい、仕事に明け暮れ、盆と正月だけに短い休みをとり、また仕事に戻るという無限の繰り返しだと言います。それでは味気も面白みもありません。喜びもとても少ないものでしょう。

イエスと聖書は私たちにとても異なったイメージを示してくださっています。今日のイザヤの予言の中に「主の山を登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう。」とあります。この言葉の意味は、私たちがありのままの姿で、山の頂上にいらっしゃる神と出会い、そして神の存在により、私たちは希望と平和の光を感じることができる、ということです。

そこで今週、私たちも祈りの中で、どこに光が必要なのか考えてみましょう。私たちの心の中で、神の光を必要としている「闇」とは何でしょうか?
イエスの光が必要としている闇は例えば、他人に対する怒り、不平不満、許しのに心の欠如、あるいは中毒になるまでやめられなくなっていること(テレビ、インターネット、お酒、薬物、あるいは携帯電話や買い物など)様々でしょう。
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神の温かい助けの中で、祈りを通じてあなたの心の「闇」を理解できたならば、イエスが約束してくださった、暖かさと光を頼みましょう。この暖かさと光を待つ心こそが、私たちの教会がいう「待降節」が意味していることなのです。私たちは空虚な気持ちでただ待つのではありません。神は必ず道を示してくださるという確信を持って待つのです。

「主の山に登ろう。」 これは祈りを通して神に出会う道筋です。
「主はわたしたちに道を示してくださいます。」(これは私たちの確かな希望です。)
「主の光の中に歩みましょう。」