2008年1月13日 主の洗礼(A年)

すべての聖書朗読のなかで私たちにとって最も慰め深い部分は、「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」でしょう。この言葉は私たちひとりひとりにとって、とても深い意味を持っています。その意味とは何でしょうか。
そこで、たとえ話のように聞こえる、実際の出来事をお話しましょう。
今のハンセン氏病、当時らい病と呼ばれ恐れられた病は1853年にハワイにやってきました。ハワイの施政者達は罹患者達すべてをモロカイという離れ島に隔離しました。家族から切り離され、罹患者達は終身流刑になったのです。病気からくる苦しみ以上に、社会から隔離されてしまったという心の傷の痛みのほうが大きなものでした。隔離され、孤独に苦しみ、人々から恐れられ、モロカイ島に隔離された人々の人生は惨めなものでした。
こうした中、ダミアンという神父が1873年に政府と教会にかけあい、隔離者たちの司牧者としてモロカイ島に行くことになりました。罹患者たちのいくばくかは神父を受け入れましたが、他の者は受け入れませんでした。ダミアン神父は罹患者のために献身的な努力を続けますが、10年後自分自身もハンセン氏病に罹患してしまいます。その時になって初めて、全罹患者達は「ダミアン神父は私たちと一緒だ」「ダミアン神父は私たちの苦しみを真に理解してくれる兄弟だ」と言い始めたのです。
神の子であるイエスは神である栄光をわきに置き、人間の体と心と魂を持たれました。このイエスは洗者ヨハネから洗礼を受けるべく会いに行きます。イエスの神性を悟ったヨハネが驚いて「いえ、私が授ける洗礼は原罪を持つ者のためのものです。あなたには原罪はありません」と言いました。しかしイエスは洗礼を望んだのです。確かに神であるイエスには原罪は無いのですが、イエスは私たち罪深い人間と同じ側に立つことを望まれたのです。イエスは私たちの仲間なのです。イエスは人間としての限界、弱さを、100%人間として(それでもなお100%神でもあるのですが)経験されたのです。彼は人間としての苦しみを経験したので、はかない私たち人間の心の苦しみを完全に理解しているのです。イエスは私たちの友人、兄弟なのです。
イエスは今日も聖書朗読を通して、生きている声で語りかけます。
「恐れるな。私はあなたと共にいる。わたしはあなたを友人と呼ぶ。」
この呼びかけに応え、友人であるイエスに語りかけましょう。