2008年2月10日 四旬節第1主日(A年)

今年もまた四旬節がやってまいりました。(今年は特に、1913年以来の早い日付の灰の水曜日と復活祭です。)  大昔の灰のお祈りは、「罪から私を遠ざけ、福音に忠実であるようにしてください。」というものでした。
これらの言葉は聖書学的な背景を知ってから理解する必要があります。
例えばここでいう「罪」とは「的をはずしてしまった」ということです。私たちは的を狙いますが、うまくいかず、はずしてしまうのです。
四旬節では的をはずしてしまったことを認め、またやり直すのです。
「福音」はイエスを通して伝えられた神からの嬉しい知らせです。この、イエスの知らせのもっとも核心の部分は、「神は愛である」ということです。
そうなのです。これはイエスの一生と教えの集約であり、中心なのです。それはまことに良い、嬉しい知らせなのです。神は私を愛してくださるのです。
神は私を愛してくださる…この言葉の深い意味を静かに味わってみましょう。

神: 私たち人間を造られた神は愛、同情、理解、そして憐みをもって私たちに接してくださいます。
私: 私は弱く、はかない存在です。決心はしますが、それを破ってしまいます。もっと敬虔になるよう神に誓いますが、うまくいきません。神はそのような、あるべき姿の私でなく、ありのままの私を受け入れてくださいます。
愛: 神は私たち人間の弱さを何から何まで知っておられ、そして常にありのままの私を愛してくださいます。これが本当の愛です。

今日の聖書では神が人間を創造し、そして人間が神の力と智慧に頼ることを拒んだくだりが話されています。しかし、神は愛であり、寛大で憐み深い(詩篇51)のです。神は御ひとり子イエス、神であり人であるイエスを世に遣わされました。真の人間としてイエスは実際の誘惑に苦しみました。ですから、人間の弱さに苦しむ私たちは信頼をもって、同じ苦しみを経験された神に頼ることができるのです。
四旬節の特別な努めとして、5分間沈黙のうちにお祈りを捧げましょう。たとえば、「神は私を愛してくださる」ことを思い出し、その意味を味わい、かみしめてみましょう。
これこそが、あなたを自由にしてくれる真実なのです。