2008年2月24日 四旬節第3主日(A年)

お祈りをしたいと思ったとき、どのようにすれば良いのでしょうか。アビラの聖テレジアは、祈りとは「私たちを愛してくださる主イエスとの心と心の会話である」と表現しています。簡単にいえば、祈りとは親しい友人同士の会話です。(イエスは「私はあなたを友と呼ぶ」と言っています。)
例として、今日のミサの聖書朗読で出てくる、会話の形態をとった二つの祈りをみてみましょう。出エジプト記ではモーゼは、自分の問題と恐れを神にあからさまにさらけだしています。福音ではイエスが井戸端で女とであった様子が描かれています。イエスは当時のおきてをことごとく破っています。ユダヤ人であるイエスがサマリア人に話しかけていますが当時ではありえないことです。しかも父や夫を伴っていない女に話しかけています。しかしイエスはそのサマリアの女の大きな悩みを理解していました。彼女は結婚に敗れたトラウマに苦しんでおり、誰にも会うことのない日中に水を汲みに井戸にやってきたのです。イエスは女に優しく話しかけました。自分から水を飲ませてください、と頼むことで女の自尊心に気を使ったのです。しかし、最も大事な点は、彼女のすべての心配や失敗、欠点も含めて、あるがままの彼女を受け入れたのです。これは祈りを行う時に、非常に大事な点です。今日私たちが祈る時にはこの点を忘れてはなりません。さもなくば、私たちの祈りは単に口先だけの、心が伴わないものになってしまいます。私たちはいつでもあるがままの姿で、神に受け入れられています。自信をもって神に向かいあいましょう。聖アウグスチヌスは、真の友とは「自分のすべてを知っていて、それでいてなお自分を愛し受け入れてくれる者」と表現しています。イエスはサマリアの女を友としました。同じようにイエスはあなたを友としたいのです。イエスは今も生きている声で私たちに語りかけています:「私はあなたを友と呼ぶ」。