2008年4月20日 復活節第5主日(A年)

イエスは「私は真実である」とも「私は教えである」とも言っています。
しかし、私たちはイエスその人よりも、イエスの教えの方を重視しすぎていないでしょうか。ここで申し上げておきたいことは、イエスの教えや定めは確かに大事です。しかし、私たちが人間イエスと真に出会い、イエスを私たちの人生と心に受け入れない限り、その教えや定めは頭だけの知識、うわべの儀式となってしまいます。
イエスを心で受け止め、日々の暮らしに映し出す、このことはキリスト教の核心部分であります。ペテロが「イエスは私たちの人生のカナメ石」と言っているように、イエスは私たちの日々の暮らしの真の助けとなります。初期教会の信者はこのことを「イエスを私の人生の王として受け入れます」と表現していました。
このイエスと出会うために、私たちは福音書を開き、祈りの心をもって聖書を読む必要があります。今日の福音ではイエスが弟子たちに語りかけています。イエスは弟子たちの足を洗い、自身の死やペトロやユダによる裏切りを予言します。弟子たちは、落胆し、悲しみそして恐れました。イエスにはそれがわかっていました。イエスは大変思いやりのある方です。彼は弟子たちを励まします。
「心悩ますのではない。私は死ぬが、復活してあなた方が人生の目的地である天国へ無事に行けるよう、共に人生の道を歩むために戻ってくる。」
イエスは、この言葉を、今日この時も、生きている声であなたに語りかけています。この言葉、この励ましを味わいましょう。
「私は真実である」とは、真のキリスト教徒であるためには、私たちは人間イエスご自身に会わなければならないということです。
これは、聖書に書かれている優しいイエスについて読み、祈りを通じてイエスに近づくということです。イエスに語りかけ、共にいることを味わうのです。ぜひ今週、やってみましょう。