2008年6月8日 年間第10主日 A年

皆さん、聖書の中で、どれほどたびたび食事の場面が出てくるかご存知ですか? 新約・旧約聖書ともに、これは「宴のテーマ」と言われており、とても深い象徴的な意味があります。 例えば、旧約では、万軍の主が山の上で宴を調え(イザヤ25章6節)、主は私のために食事を調え(詩篇23章5節)、新約ではイエスは、ザアカイと、マタイと、またエマオへと向かう二人の弟子と共に食卓につき、さらに、最後の晩餐、カナの婚礼、パンと魚を増やした逸話など、枚挙にいとまがありません。

イエスの有名なたとえ話に、放蕩息子に対して父が祝宴をはる話があります。この話の深い象徴的な意味は、食事の時、家族がくつろいでお互い仲間であることを楽しむ(同じ釜の飯を食う)ということです。これは神と私達一人ひとりの関係、あたたかくうちとけた親しい間柄の象徴です。

5月30日の読売新聞に「日本人と宗教」についての調査結果が出ていました。日本人の72%は無宗教、43%は宗教は「怖れ」を使っていると感じている、とのことです。ならば、イエスの本当の、真実の教えとはいったい何でしょうか。

イエスはマタイを呼んだように、私達を呼んでいます。その呼びかけに応じるのも、無視するのも私達の自由です。(マタイ19章では、金持ちの若者に拒まれてなお彼を愛すイエスの話が出てきます。) 今日の聖書朗読の中で、イエスは、「マタイ、来て私に従いなさい」と言い、マタイは立ち上がってイエスに従いました。そののち、イエスはマタイの家で食事をします。この「食事」とは、偶然の描写ではなく、聖書の中で核心的な意味を持っています。イエスは、マタイを、あたたかくくつろいだ親しい関係に招いたのです。

私達も、同じようにイエスに招かれています。聖書は常に、「永遠の現在形」で書かれています。私達も、神との気さくでくつろいだ、暖かな関係に招かれています。これこそが私達の信じる宗教の根幹、イエスの道なのです。ですから「怖れ」などあなたの心の中から追い出してしまいましょう!

私達は祈りによってこの暖かい関係を育てていきます。アヴィラの聖テレジアは「祈りとは私達を愛してくださる親しいイエス様との心と心の会話です。」と言っています。さあ、やってみましょう。神様の暖かさを味わいましょう